よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

空しい虚しい証人喚問

昨日は出かけたので証人喚問の中継は見られなかったが、家にいたとしても、視聴に耐えられず、途中でスイッチを切っていただろう。ニュースで報じられたその映像は、予想していた展開ではあるが、あまりにひどいやりとりで、国民が馬鹿にされている気がした。

 

佐川氏は、おそらく町のお店で買い物をすることもないお方なのだろう。いつも運転手付きの黒い車で移動して、電車やバスに乗るということもないのだろう。だって、これほど顔が売れてしまったら、普通はとても外に出られない。一般市民に顔を見せられない。平気であのような証言ができるというのも、下々に顔をさらす心配などないような生活圏で生きているお方なのであろうと推察する。

 

「佐川」はありきたりな姓でもないが、まあ取り立てて珍しいわけでもないのも運が良かった。いつぞやの耐震偽装事件のような珍しい姓であれば、家族もさぞや肩身の狭い思いをすることだろう。

 

「重大な問題が山積しているのだから、こんなことはもういい加減にしたほうがいい」という意見もある。確かに昨日の証人喚問なども、つまらない茶番で肝心なことは何一つ明らかにならず、無駄と言えば無駄かも知れない。けれども、ますます疑惑は深まった。何ら恥じることがないのなら、すべて堂々と話せたはずなのだから。つまり、47回も証言拒否をせねばならないほど後ろめたいことをしているわけで、これほど信頼できなくなってしまった内閣や官僚に、その「重大な問題」を任せられるのかということこそが問題だ。

 

森友問題が発覚した昨年から、時間的にも経済的にも非常にもったいない事態が続いている。いや、それ以上に、失われなくてもよい人命まで失われた。その根本原因が、李下に冠を正した首相夫妻にあるのは明白だ。そのことに、人として責任を感じてほしいと切に思う。それもせずして道徳を正課になどと、よく言えるものだ。「美しい国」にと言うのなら、その「美しい国」にふさわしいトップであってほしいものだ(すっかり手垢にまみれてしまったこの「美しい国」という言葉の気の毒なこと)。

 

 

昨日書き忘れたが、帰りの渥美線でのこと。ほんの10分に満たない乗車時間なので、普段は特に座ろうともしないのだけれど、昨日は名古屋まで出かけた気疲れもあったからか、乗り込んだとき無意識に空席を目で探した。私のその行為に目をとめたからか、あるいはたんに高齢者と思われただけかもしれないが、高校生の女の子に席を譲られた。初めてのことで「えっ?!」と思ったけれど、せっかくの好意なので、ありがたく甘え座らせていただいた。

 

その女子高校生は、「成章高校」と書かれたリュックをしょっていた。だとすると終点の田原あたりまで乗っていくのだろうか。途中からは空いて、また座れるだろうか。私の利用する駅に着き、ドアのところに立っていたその子に、もう一度「どうもありがとう」と言って電車を降りた。世を騒がす大人たちと違って、その子の人としての魂の高さに嬉しくなった。

 

人の言動が、周囲の人を不快にもし、幸せな気持ちにもする。心しなければと思う。

 

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私利私欲にまみれる人間って、愚かね。   byオーガスト