よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

地域の小学校の卒業式に種々思う

朝からあいにくの雨模様だけれど、今日は地元の小学校の卒業式だった。

 

今年の卒業生は2クラス60名。この間の中学校もそうだけれど、いまは卒業証書を校長先生から一人ひとり全員に手渡し(中学校は男女別だったが、小学校は混合のあいうえお順だった)する。受け取った子供は、途中で保護者席の親に証書を預けて自分の席に戻る。

 

どちらも、私のころには考えられなかったことだ。まず生徒数が多かったので卒業証書はひとクラス分を代表に渡したし、家の人が誰も来ない子も珍しくなかったので、式の途中で親に証書を預けるなどという式次第も考えられなかった。現代はふた親そろってとか、祖父母まで出席ということもあると聞く。

 

式の途中で、私の左前方で、椅子をほかの保護者とは反対に向けて座っている中年の女性が視界に入った。なぜ子供たちのほうを向いていないのだろうと不思議に思ったが、すぐに事情が分かった。聾者の親のための手話通訳者だった。

 

式は1時間以上かかるし、祝辞には独特の言い回しも少なくないのでさぞご苦労だろうと案じたが、ちゃんともう一人いて交替で通訳していた(手話通訳というものが始まった当初は、その大変さと危険性が十分認識されておらず、一人で連続して通訳をした結果、重篤な病気になってしまった手話通訳者がいらしたそうだ)。

 

先日の中学校でも今日の小学校でも、かなりの数の外国にルーツを持つ子供がいるし、こうして卒業式に手話通訳者が同席するなど、日本も遅ればせながら少しずつ多様性を受け入れる社会になりつつあるようだ。さらにもっと、車椅子の子供がいたり先生がいたりしてもいい。小さな時から、世の中にはいろいろな人がいることを肌で知ること、人はそもそもみんな違うのだと知ることは、とても大切だと思う。

 

 

午後は、老人会に対する市の助成金を受けるための書類作りをした。いつもながらお役所の書類の面倒くさいこと。規定の書式や記入例などで何十枚もになる書類が、毎年ご親切なことにファイルに綴じられて配られる。このまま保管すれば場所をとるばかりのこのファイル、捨てるときには分別しなければならず面倒だし、何よりもったいない。ここまでする職員の手間も、もったいない。一通り記入され、計算が合っていてハンコが押されていさえすればお金は払うのだろうから、もっと簡略化すればどちらにとっても楽になり、物と人の両面で経費も削減できることだろう。

 

書類作りをしているうちに夕方になってしまい、雨も降っていることだし、今日のスタンディングはサボタージュ。参加した方々、ごめんなさい。

 

 

今日の卒業生たちの服装。男女ともほとんどブレザースタイル(女の子一人だけがカーディガンだった)。この成長の激しい時期に、中学校は制服だし、今後はたして何回着る機会があるだろうかと思われるブレザーを準備するのは、負担な家庭もあるのではないだろうか。リサイクルの申し合わせなどができていればいいけれど・・・と思った。テレビなどで報じられる、華美な袴姿などがないだけましだけれど。

 

 

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学校のホームページから「6年生を送る会」のようす。

人数の少ない学校ならではの、学年を超えた和やかな雰囲気。