よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

心の洗濯『なつかしい時間』長田弘著

さすが『詩ふたつ』の詩人の本・・・と深く感じた。

 

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著者がNHKテレビの「視点・論点」で、17年間48回にわたって放映のために書いた原稿に、新たに三篇を加えてまとめた文章だ。

 

1995年5月の「国境を越える言葉」に始まって、「会話と対話」「退屈の研究」「語彙の行く末」「使い方の哲学」「一日の特別な時間」「不文律を重んじる」「読まない読書」「叙景の詩」など珠玉の文章が並び、最後2012年7月の「海を見にゆく」まで。

 

特別に詩的な言い回しや美麗な言葉が使われているわけではない。ごくあたりまえで平易な言葉や表現ばかりなのに、まるで全編美しい詩を読んでいるような気持になる。自分の心が、泥水をかき回した時にだんだん泥が沈んで行って澄んだ水ができるように、静かに透明になっていくように感じる。泣きたいような気持になる。悲しいわけじゃない。悔しいわけでもない。かといって、もちろん嬉しいわけではない・・・。

 

時間は決して後戻りすることなく進み、便利になり豊かになり清潔で快適になった。その一方で、ふり捨て、見失い、忘れさってきたものも多い。けれども、著者はただそれらをヘッセが言うように、「失ったものを惜しんで嘆い」ているのではない。そうなってしまったところから、私たちが心のありようをどうしていけばよいか、どこを目指していけば真のゆたかな生を得られるかを説いている。

 

現代の日本や日本人のおかれた状況は、この本の説く世界とは対極にあると言える。自分の地位やメンツを守るため、詭弁を弄し嘘をついて恥じない為政者や経営者たち。権力に媚びて自分を偽り、意に反した仕事をせざるを得ない人々。命を削るほどの過酷な労働環境。個性重視といいながら、枠からはみ出さないことを求める教育・・・。

 

寒山拾得のように退屈を楽しみ、「手に入れる」価値観から「使い方」の価値観に視点を移そう。「不文律」という、言葉にできない、言葉で表せないような思いや事柄を重んじる社会にしよう。

 

 

樹の下に立ちどまる。空を見上げる。沈黙を聞く。どこか遠くへゆくことをしなくても、大きな樹は、毎日の風景のなかに、はるかな大自然の記憶をとどめる最後の証人のように、わたしたちのすぐそばに、きっとあります。 (2006年8月2日「樹が語ること」より)

 

 

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「猫と暮らす」のなかで長田さんは「わたしにとっての猫は、いわば物言わぬ哲学者のような存在」と言っているが、私にとってのオーガストも、まさにそのような存在だった。いつも何か物思いにふけっているような、深いまなざしをした猫だった。

 

 

 

そして・・・

 

今日のスタンディング、約20人。座っている男性が持っているのは電光掲示。抗議文が流れていくようになっています。

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14日の抗議行動の記事が地元紙2紙に掲載されました。

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