よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

何者にもなれなくても・・・『いつか響く足音』柴田よしき著

私が本を借りるのはたいてい地区市民館(中学校区単位)なのだけれど、今日は校区市民館(小学校区単位)の図書室で会議があり、定刻までまだ時間があったので本を見ていた。すると、柴田よしきさんの作品があったので、迷わず借りてきた。

 

東京の近郊、かつては「ニュータウン」などと呼ばれ人々の憧れでさえあった大型団地も、時の流れで寂れてしまった。その団地を舞台に、そこの住人のそれぞれの人生を6つの連作短編形式で描く。

 

古くて手狭で交通不便、家賃の安さだけが取り柄のような団地にいまだ住んでいる人々は、やはり様々な事情を抱えている。はやりの言葉で言えば、決して勝ち組ではない人たちだ。成績不良で高校を中退してしまいキャバクラで働く朱美。父親の借金を被ってアンラッキースパイラルに巻き込まれ、いまや怪しい金融業者の取り立てから逃げる羽目になっている絵理。一人息子の家庭に干渉しすぎたために嫌われ縁が切れて、団地の人々に自分の作ったお惣菜を分けて歩くことだけが生きがいのようになっている里子。三人の夫を失って今は一人で暮らす静子、三番目の夫は本当に事故死だったのか・・・。

 

そんな訳ありの人たちが、里子のお惣菜と絵理の借金問題を介してかかわりを持ち、つながっていく。

 

いつもながらこの著者の視線は、平凡な人はもちろん、世間的にはダメだの情けないだのと言われそうな人たちにもとても優しい。どんな人も、どんな人生も、「いいんだよ、いいんだよ」と包み込むような温かさを感じる。

 

エピローグで、お役所から届いた住人の調査書類に、当初は登録居住者の父親は失踪してしまい、途中から転がり込んだ自分は立ち退きを迫られるのではとおびえていた朱美が、つながり合った住人たちを家族と思い、「家族」の欄に自信をもって「いっぱい」と書くシーンに、心の深いところから温かいものが湧きあがる。

 

 

たまたま、今日「何者にもなれないあなたに・・・」「何者にもなれないの正体・・・」と題した二つのブログを目にし、柴田よしきさんの紡ぐ物語は、何者でもない(実は何者でもない人なんていないのだけれど)人を温かいまなざしで描いたものが多いなあと思った。

「何者にもなれない」あなたに読んでみてほしい、「何者かになってしまった人」の10冊 - いつか電池がきれるまで

 

「何者にもなれない」の正体と、中年期以降の約束事について - シロクマの屑籠

 

 

私も若い時なら柴田さんの作品にこんなに惹かれなかったかもしれない。しかし、人生の折り返し点すらはるかに過ぎ終盤にかかっている今、「何者」ばかりでは世界は成り立たないことも、若いころには嫌でたまらなかった「その他大勢」の平凡な人生が、案外まんざらじゃないことも知っている。

 

仕事とか、人付き合いとか、人生とか、いろいろちょっと疲れてしまったら、読んでみてほしい。

 

 

f:id:yonnbaba:20180220203821j:plain

表紙に描かれた道路には横断中の猫の姿。扉にも魅力的な黒猫の絵が・・・。

猫もこの作品の重要なファクター。