よんばば つれづれ

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えてして性格はだんだん濃くなっていく

この数年しみじみ実感することがある。母が昔よく口にした「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うなゆく道じゃ」という言葉の、うしろ半分のほうだ(この言葉をよく口にした割には、母は子供の躾に厳しい人だった)。

 

子供のころや若いころには、お年寄りを見て理解に苦しんだり呆れたりすることが少なくなかった。どうして紙をめくるときに指をなめるのか、動きだすときに「どっこいしょ」などの掛け声をかけるのか・・・など。私は年をとってもいかにも年寄り臭い掛け声などかけないぞと思っていた。

 

ところが、近ごろ車に乗りこむとき、つい「ヨイショ」といってしまっている自分に気づく。股関節がまだ完全ではないので、声を出さないと足が上がらない。若い時にはなんでもなくできた動きさえ、掛け声をかけないと大変になるのだということを知った。ハンマー投げなどの運動選手がよく大きな掛け声をかける。以前は、声で飛ばすわけではないのにと不思議に思ったが、体を動かすことと声とは密接につながっているのだということを、しみじみ実感するこのごろだ。

 

紙をめくるときの指なめはいまのところしないで済んでいるが、今後もこの美学を貫くためには、「メクール」を常時持ち歩くことが必要になるかもしれない。

 

昔話の「こぶとりじいさん」に、こんなこぶのある人いるわけないのに・・・なんて子供の私は思ったが、年を取るとちょっとした「できもの」が、いったんできるとなかなか治らずそのままになってしまうこともあり、そうした年寄りの体質を、あの話はデフォルメしていただけなのではないかと今は思う。

 

良いお爺さんと悪いお爺さんにしても、年を取れば自然に「人間がデキていく」どころではなく、むしろもともとの性格が濃くなっていくのだなあと実感する近ごろ、お人よしの人は良いお爺さんになり、意地悪や疑り深い性格の人はますますそれが濃くなって嫌なお爺さんに(あるいは舌きり雀のお婆さんのように)なってしまうのかもしれないと、妙に納得してしまう。

 

もともと食べ物に好き嫌いはないが、人の好き嫌いは結構あるほうだった私は、近ごろ苦手な人がますます増えていくようだ。退職したとはいえ、地域の仕事や社会活動をしていれば、それなりに人間関係もできる。なるべく苦手な人を作らないように、寛容であらねば・・・と思うのだけれど、これがなかなか難しい。

 

自分が苦手だなと思う人を反面教師にして、なるべくそうならないようにしたいと思うが、なにせ我儘で短気な性格が濃くなってきているのだから大変だ。話し合いの場面で自分ばかりとうとうと話す、そのうち話題がそれ、聞き手が関心を失っていても気づかない、人の言った意見を即座に否定し、自説を強弁する・・・など、嫌いなくせに自分もしている可能性が高いことなので気を付けたい。

 

嫌な人にならないためには、口数を少なくするのが一番だ。沈黙は金。でも、分かってはいても、私にはとても難しい。

 

 

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猫ならダメなとこもイケないとこも、みんな許せるのにね。

ドリーム、それ、わたしのお水!しょうがないなあ、もう・・・。