よんばば つれづれ

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考え直してもいいこと

今日の東京新聞中日新聞)のコラムは赤い羽根についてだった。

 

「赤い羽根」の共同募金運動が始まったのは、七十年前のきょう十一月二十五日のことだ。もっとも最初の年に募金した人に配られたのは、稲穂をデザインした金属製バッジ。「赤い羽根」が登場したのは翌年からだが、すったもんだのやりとりの末の導入だったという▼米国の募金で使われていたものを参考に「赤い羽根」が提案されたものの、「赤は派手すぎる」「紳士淑女が羽根など着けられるか」「吹けば飛ぶ羽根など縁起でもない」など異論が噴出した(中央共同募金会『みんな一緒に生きていく』)▼だから当時は普及のために、こういう文書までつくられたそうだ。<新生日本の国民の一人一人に、新しい社会観を植えつけてゆくには、この位の意外さが無ければ、効果はうすいものであろう>。あの羽根一つにも時代のきしむ音が刻まれているのだ▼そうして生まれた赤い羽根はこの季節の風物詩となった。最初の年に用意されたのは一千万本だったが、それが五千万本に。しかし最近は募金額は右肩下がりで、赤い羽根を着けて歩く人も少なくなった▼まど・みちおさんは、こんな詩を残している。<あかい はね/あかい はね/こないだ つけた/あかい はね/ぼくの むねの/あかい はね/ようふく きかえたら/ほっぺに さわった>▼そんな羽根のあたたかさは、今でもきっと消えていないはずだ。

 

今の在り方を肯定し、募金額が減少していることを嘆いているのだろうと思うが、私は少し考え方が違う。10月の初めに実際に街頭募金に立った時にも書いたが、そろそろ考え直す時に来ているように感じている。

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学校の生徒さんたちが行っている場合は、おそらく経費はほとんど発生しないだろうが、各種団体の大人が行っている場合は、たいてい結構経費が発生している。都市部は分からないが、私の住んでいる市(人口30万人台)のような地方都市の場合は、繁華街とはいえ平日の昼間に歩いている人は非常に少なく、したがって募金額も微々たるもので、経費のほうが上回ってしまうのが現実だ。

 

募金を呼び掛けられる側にすれば、町内会などで寄付済みで羽根をもらっていても、わざわざ付けて外出しないので、街なかで呼び掛けられると二重の寄付をするか、気まずい思いで通り過ぎるかになる。

 

今は振り込みやインターネットサイトなど、さまざまな寄付の方法がある。まとまった金額でなく小銭でしたいという人には、コンビニやスーパーに募金箱を置くことで十分ではないだろうか。

 

中央から予算の下りてくる団体で、募金活動のために割いている分の予算と、赤い羽根を作って(今年は1000円以上の寄付者用に、立派なバッジも作られた)配る経費などを、そっくり初めから赤十字への寄付に回したほうが、金額は多くなると思う。

 

関係者の中には、こうした活動を自分たち自身で行うことに意義があるのだという意見もあるが、今から70年前には赤い羽根募金が切実に必要だったように、現代には現代の必要とされる新しい活動があるのではないだろうか。

 

 

今日はスタンディングの交流会(ミーティング)に参加し、その帰りに有志4人で駅前でのスタンディングを行った。3人が交流会の場所から移動してくるのが遅かったため、始めの10分ほどは一人で立っていた。今までは、もう一人来るまではプラカードが出せなかったが、今日は初めて一人でもプラカードを掲示した。

 

同じ夕刻でも、土曜日は金曜日より駅前の空気が柔らかい。隣に立っていた仲間が、3回目の冬だねと言い、改めて長い活動になったことよと思った。

 

 

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豊橋駅前のイルミネーション(豊橋市のサイトより)