よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

百聞は一見に如かず、大都会東京も、意外に元気な姉も

毎日、東京にお住いの多くのブロガーさん方のブログを読み、写真を拝見しているけれど、実際に私が東京に行ったのはいったい今から何年前だろう。すぐには思い出せないほど長いこと行っていない。

 

その私がやっと重い腰を上げて、今日は半日東京の人となった。姉が絶対安静をやっと解かれ、先週から車椅子が使えるようになったというので、見舞いに出かけた。こんなきっかけでもなければ、なかなか思い切って出かけられない。困った出不精だ。

 

せっかく出かけるのだからと、サンシャイン水族館の見物をもくろんでいたのだけれど、あの酸欠大量死のニュースで急遽メニューを変更し、開催中の「運慶展」を見ることにした。夕方のほうがいくらか混雑が解消されるようだが、面会時間の関係で、上野に先に行くしかない。

 

10時半過ぎに到着して、チケットは20分待ち、入場は60分待ちだった。一昨日や昨日の混雑具合をネットで見るとそれほどひどくなかったのだが、昨日の雨のあとの今日の好天で、どっと繰り出す人が増えたのだろうか。実際には入場まで70分くらいかかった。

 

会場の中も大変な混雑だったし、待ち時間が長かったために私は面会時間も気にかかって、あまり落ち着いてみることができなかった。セネシオさんみたいに近くに住んでいたら、すいている時を見計らって行けるのでしょうけれど・・・。

 

今日は運慶展の内容については触れない。

 

新宿からは私にとって懐かしい地域になる。専業主婦だったので通勤のようにしょっちゅう乗ったわけではないけれど、新宿まで買い物に出たり、経由してもっと都心まで出かけたり、そもそも息子たちの父親との初デートの待ち合わせも新宿駅だったから、とても思い出深い駅だ。

 

そうして相模大野の駅に着くと、あまりの変わりようにビックリだった。40年という年月はものすごく長い時間なんだなと、再認識させられる思いだった。私が住んでいた頃は、南口など「駅裏」と言ったほうがピッタリの、へたをすると狸でも出そうな雰囲気だった。道路整備より先に勝手に住宅が建ってしまったようで、道なき道のようなところを通り、突然階段が出現したりするという具合だった。

 

今日は乗り換えで通過しただけでじっくり見る時間はなかったけれど、とにかく何ひとつ昔を思い出すようなものは目に入らなかった。

 

北里大学病院も、昔一度受診してはいるのだけれど、方向音痴な私など病院の中で迷子になってしまいそうで、やっとという感じで姉の部屋に辿り着いた。40日もの間ベッドに寝たきりだったのだから、さぞ筋力が落ちてしまって大変だろうと案じていたのだけれど、ベッドの姉は思いのほかやつれもなく良い顔色をしていた。

 

喫茶に行こうと車椅子に移乗する(看護師さんの見守りつきではある)ときも、手すりにつかまりはしたものの、自分の足で立って車椅子に移ることができていた。ベッド上でできるだけ足先だけでも動かすように努めていたそうだが、お医者さんたちも驚いていると言う。後遺障害の可能性もある病気のようなので心配したが、リハビリが始まったばかりでこれだけ元気ならば、きっと元の生活に戻れるだろう。姉の明るい顔を見て、本当に安心した。

 

 

 

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相模大野駅の電飾ツリー。これがあの、私の利用していた地味な大野の駅ですか?!