よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

やっと鑑賞『ボブという名の猫』と大型店のオープン

都会に住んでいらっしゃる方々から見れば何を今頃と思われることだろうが、やっと『ボブという名の猫』を観ることができた。

 

この作品はどうしても見たいと思い、浜松まで見に行くつもりで公開日などを調べる中で、同時期に豊橋のユナイテッドシネマでも上映されることを知った。その公開初日が今日なので、早速がんばって朝一番で観てきた。

 

ストーリーはもうあちこちで紹介された通り、クスリに溺れいまやホームレス同然の暮らしをしているストリートミュージシャンのジェームズが、一匹の猫と出会ったことで立ち直っていくというものだ。

 

この映画の魅力はもう、なんといっても猫のボブに尽きる。それはそれは崇高で意志の強そうな顔つきで、とても映画初出演とは思えない堂々たる演技だ。多くの見知らぬ人や犬に取り囲まれたり、バスに乗せられたり自転車の前かごに乗せられたり、それでも終始泰然としているクールさは、ひとりのみじめで孤独な魂を救うべく、特別に神様に使わされた猫のように思われる。

 

それにしても、ジェームズが立ち直りのサポートを受けて入居したアパートは、すぐ前の通りで売人がクスリを売っているという環境だ。日本でもだんだんこうした状況になるのだろうか。「一億総中流」と言われた分厚い中間層が崩壊し、格差が拡大している現在、これからもこの現象が進んでいけば、人々の心はさらに荒廃し、間違った方向に逃げ場を求めるようになるのかもしれない。

 

だれもが心のゆとりをもって暮らせる社会にしたいと思うけれど、選挙の状況にも希望は見えず、世界でもトランプの品位のかけらも感じられない発言などで、どんどん時代は悪い方向に向かっている気がする。ひとつ歯車が狂えば、だれもがこのジェームズのようなアリ地獄に落ちてしまいかねない。

 

そうしたときに、サポートするシステムがあり、そこで懸命に力になろうとするヴァルのような人がいたり、ホームレス同然であっても、偏見を持たず彼の優しい魂をまっすぐに見る、ベティのような人がいたりすることは大変な救いだろう。

 

そして、ヴァルやベティのような積極的な優しさを持ち合わせなくても、大抵の人の心の中には優しさが眠っていて、動物はその隠れた優しさを引き出してくれるようだ。ジェームズが一人で路上で歌っていた時と、ボブが一緒のときとでは、彼の歌には違いがないのに、聴衆の反応は全く違う。動物とともに生きることで、人は優しくなれる。そして、優しいとは強いことでもある。

 

今日の映画館は、9時半からという早いスタートだったにもかかわらず、最近私が見た中では一番観客が入っていたように感じた(と言っても20人前後だが)。こういう作品を観ようという人がこんなにいたことに、少々嬉しくなった。

 

豊橋にたった一つの映画館、ユナイテッドシネマ。この隣にはイトーヨーカドーがあったのだけれど今年1月撤退し、そのあとに昨日メガドンキホーテが開店した。オープン2日目の今日は帰り道混雑して大変かなと思ったが、まるでそんなことはなかった。

 

かつてヨーカドーが開店した時には、近隣一帯の道路が大渋滞して大変だったという話を聞いた。時代が変わったのか、それとも店の訴求力の違いなのかは分からない。混雑も嫌いだし、なんとなくドンキホーテという店に良いイメージを持っていない(地元の小中学校の先生方や健全育成に関わる人たちは、この店の出店が決まった時から、子供たちへの影響を心配している)私は、素通りして帰ってきた。

 

 

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