よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

全編が宝石のように美しい『阿弥陀堂だより』

アマゾンプライムで『阿弥陀堂だより』を見た。映像といい物語といい、「美しい!」の一言だ。(注文の際に間違ってプライム契約をしてしまったらしい。せっかくなので大いに利用中)

 

もちろん、この「美しい」に素直な賞賛でなく、揶揄を込める人もいるに違いない。春夏秋冬、四季それぞれの山里の風景が描かれるが、雪のちらつく日はあっても雨の日はなく、まして長雨も豪雨もない。子供たちは群れてのどかな里で遊んでいるだけで、登校の大変さも学童の少ない学校の問題も出てはこない。地域の伝統の祭りを維持する悩みにも触れない。ただただ美しくのどかな山里暮らしだ。

 

都会の大学病院の優秀な医師であったらしい妻美智子は心を病み、夫孝夫のふるさとである信州の山里にやって来る。そこは無医村で、美智子は体に無理のない範囲―月水金の午前だけという約束で、保育園に併設された診療所の医師を引き受ける。

 

孝夫は昔から友人たちに「花見百姓」(桜に見惚れて田植えを忘れるような百姓)とからかわれていたような人物で、新人賞はとったもののそれから十余年、現在は鳴かず飛ばずの売れない小説家だ。

 

ガラス細工のような妻(樋口可南子)を、主夫業もこなしながら穏やかに優しく支える夫を演じる寺尾聰がたまらなくいい。こんなに温かく支えてくれる夫だったら、お金なんか稼げなくてもいい、私が何でもして頑張る!とつい思ってしまいそうな素敵さだ。

 

集落から少し離れたところに、村の死者たちを祀る阿弥陀堂があり、そこに96歳になるおうめという老婆(北林谷栄 助演女優賞、素晴らしい!)が一人で住んでいる。二人はしばしばこの老女を訪ね、そこで過去に罹患した喉の病気のため声を発することのできなくなった小百合と知り合う。小百合はおうめおばあさんの話を聞いてはエッセイにまとめ、村の広報誌に連載している。

 

この他にがんを患いながらいっさいの医療行為を拒否し、高潔で簡素な暮らしを続ける孝夫の恩師(田村高廣)とその妻(香川京子)、小百合の腫瘍が再発して運ばれる町の総合病院の医師(吉岡秀俊)など、周囲の人間たちも静かに描写されていく。

 

どうせ暇だからと広報誌の各戸への配布を孝夫は買って出て、一軒一軒配りながら近況を聞いたり世間話をしたりする。「ここにはいつから住み始めたんですか」という孝夫の問いかけに、ある主婦は「昭和22年から」と答える。「その前の年に引き揚げて来たので・・・」と。

 

孝夫の恩師の妻も乳飲み子を抱えて引き揚げ、その途中で子供を死なせている。夫はシベリアに抑留され、戦後11年たってやっと帰ってきたという経験をしている。長野県は日本一多数の満州開拓民を送り出した県だ(現在は豊かな農業県になっているが、戦前は日本でも有数の貧しい県だった)。そんなこともさりげなく描かれている。

 

春に転居してきた夫婦が、夏をそして秋を過ごしていくうち、妻は徐々に心身の健康を取り戻していく・・・。

 

小百合の腫瘍の再発や恩師の死などはあるが、あくまでも物語は何気ない日常を中心に静かに淡々と進んでいく。山里の美しい四季の風景や祭り・神事・農作業などを映し出す。自然に寄り添った人間の営みは、こんなにも美しいものだったのかと感動する。もちろん実際のそうした暮らしには、裏側にピッタリと不便さや大変さが貼りついているのだろうとは思うけれども。

 

これから、数は少なくなるだろうけれどこうした素朴な山里暮らしと、ますます合理化が進む都会暮らしの、二極分化のような社会になって行くのかも知れない。しかしその間に存在する捨てられていく過疎地はどうなっていくのだろう。日本の自然は人が手を入れてこそ美しさが保たれていることが多く、放っておけば荒々しいものになってしまいそうだ。いやそれとも、やはり山里は消滅してしまうのか。

私たちはどんな未来を選びとるのだろう。

 

 

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