よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

次兄の56回目の命日の墓参と鉛筆削りの思い出話

お盆はそれでなくてもなくなった人を偲ぶときだけれど、三つ違いの次兄は盆のさなかに召されたので、よけいに思いは強い。今日は13歳で逝った兄の56回目の命日だ。生きていたら数えの七十で、古稀の祝いをしていたろうか。

 

次兄のことは3年前にも書いていた。そのほかにも、何度か触れてもいるが、忘れないこと、思い出してあげることが亡くなった人への何よりの供養だと思うので、たった13年しか生きられなかった次兄に免じて、また書くことをお許しいただきたい。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

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以前にも紹介したけれど、名大附属病院の病室の兄。同室の小さい子たちにも慕われていた。

 

 

今日、セネシオさんが肥後守のことを書いていらして、それを読んだら父のことも思い出した。父は私がまだ青森の婚家にいて里帰りも思うにまかせない三十代の始めに、69歳であっけなく逝ってしまった。

 

几帳面でなんでもきっちりする父の削ってくれる鉛筆は、うっとりするほど綺麗だったことを覚えている。鉛筆削り専用の道具(20センチ四方くらいの木の箱で、真ん中に芯をとがらせる作業がしやすいように木製の島が作られ、削りかすは周囲にたまるようにしたもの)まで自分で作っていた。

 

その道具を使って父が鉛筆を削ってくれるのを、そばで眺めるのが好きだった。あの時代は時間がゆっくり流れていた気がする。間もなく手動式の鉛筆削り器が売りだされ、私もいつしかそれを使うようになり、夕食後の団欒にはテレビが侵入し、だんだん時の進み方もせわしなくなっていってしまった。

 

 

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これもまた以前載せた写真だけれど、たぶん父に鉛筆を削ってもらっていた頃。お年頃でデートの姉は不在。