よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

読書の醍醐味『終わらざる夏 上・下』浅田次郎著

題名から、100パーセント戦争を扱った作品だと思う。そして分厚い上下本。「読もう!」と決心するまでにしばらく日にちがかかった。

 

ところが、読み始めたら止めるのが大変というくらい夢中になってしまった。昭和20年8月15日の玉音放送をはさむ前後数か月ほどを舞台にした、群像劇といった趣の物語だ。登場人物がどの人もどの人も非常に魅力的に描けていて、どうかこの人が無事に終戦を迎えられますようにと、祈るような気持ちでページを繰り続けた。

 

今までにも戦争を扱った小説をいろいろ読んできたが、たいてい戦争の中のある局面における人々に焦点を当てた作品が多かった。その局面は、多くは原爆であったり、東京大空襲であったり、満州からの引き上げであったり、南の島での飢餓であったりした。

 

この作品の取り上げている戦争は、ひとつは、日本がポツダム宣言を受け入れ陛下の終戦詔勅もあったのちに起こった、日本最北端の小さな島占守島(シュムシュトウ)での戦いだ。

 

いまひとつは、粗末な赤紙一枚でそれまでの生活すべてを投げ出し、定められた刻限までに、定められた場所に飛んでいかねばならなかった普通の人々と、それを取り巻く親や妻や子供、そしてこの作品で私が初めてそういう人の存在に思い至った、次はどこの誰を徴用するかを決定していた、末端の係官、つまり戦時下の日本人一人ひとりにおける戦争だ。男も女も大人も、子供にさえも容赦のなかった戦争だ。

 

群像劇でさまざまな状況や立場の人が描かれるゆえに、戦争というものがいかに生活の隅々まで壊していくか、あらゆる人にいかに深く浸透し蝕んでいくかが非常によく分かる。フィクションであるからこそ効果的な設定ができ、しかも一つひとつのケースを魅力的に描くことで、読者の心に深い思いを刻み付ける。

 

多くの魅力的な人物が登場するけれど、なかでも中心的な役割をする3人が岩手県の出身者で、その中の一人が使う素朴な岩手の言葉はとても効果的だし、とりわけ宮沢賢治の「ほしめぐりのうた」の使い方が秀逸だ。

 

戦後65年の2010年に出版された作品で、著者の浅田次郎氏は、自分は直接には戦争を知らない世代だけれど、戦争のことを書き記し後世に伝えることができるギリギリの世代だから、それを使命と感じて取り組まれたらしい。

 

戦争を体験した方々の肉声をとどめたり、体験談を語り伝えたり、ドキュメンタリー作品を残すことなどはもちろんとても大切だ。同時に、より多くの人が触れやすいよう、小説や映画・ドラマなどのエンターテインメント作品を伝えていくことも大切なことだろう。

 

作品を手に取る前は重い読書になりそうで少々ひるんだが、グイグイと物語の世界に引きずり込まれて充実した読書の時間を持った。読みながら願った、すべての登場人物の幸せな終戦という結末はもちろん望めなかったけれども、読後の気持ちも暗いものではなかった。物語の中の人々の、まっすぐで清らかな気持ちが、読み手の心を満たすからだろうか。

 

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