よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

考えさせられる『新・日米安保論』

まず、カバー裏の内容紹介文を引用する。 

 

冷戦終結後四半世紀。以来、国際情勢の変化にもかかわらず日米の安全保障体制は維持されてきた。しかし「今後も守って欲しければさらなる負担を」と訴えるトランプ政権の登場で、日本はアメリカとの安全保障体制の在り方そのものを問われている。  果たして日米地位協定に象徴される従属的なアメリカとの同盟関係を今後も重視する必要はあるのか? 尖閣問題、対テロ戦争北朝鮮の動向など、激変する情勢下、日本の安全保障を、歴代内閣のご意見番であった元防衛官僚、武装解除のエキスパート、安全保障の専門家が徹底的に語り合う。避けては通れない国防の根本的な問題がここにある。

 

柳澤協二・伊勢﨑賢治・加藤朗の三氏の対談をまとめたもので、防衛論など苦手な私にも分かり易かった。冷戦時代と違ってソ連の脅威がなくなり、代わって中国が圧倒的な存在感を持って来ている現在、沖縄の基地問題を含め、日米の安全保障条約を根本から考え直す必要があることや、他の国々に比べ、地位協定が日本だけがいまだ敗戦国の非常に卑屈で不利な状態のままであることなどがよく分かった。

 

同じ第二次世界大戦敗戦国であるドイツやイタリア、アメリカの植民地であったフィリピンでも、すでに対等な地位協定を獲得していると言う。なぜ日本だけがずっと屈辱的な地位協定のままなのかといえば、やはり国民がなにも要求しないからだと言う。不利なことの大半を沖縄に押し付けて、ほとんどの国民は不当な地位協定への不満を実感していない。実際は日本だけが負担している「思いやり予算」など、大変な金額の税金が使われているのだけれど、そもそも日本人は税金の使われ方に関心が低い。

 

地位協定のような条約改定というのは政治的エネルギーも非常に使い大変なので、なるべくならば本体に触らず「運用の改善」でお茶を濁しているという説明は、分かり易いだけにとても腹立たしくもある。

 

偉い政治家や官僚は、当然国だの国民のことを考えて仕事をしてくれているなどと、大半の国民はのどかに信じている。けれども、おのれの保身ばかり考えているのは、なにも現政権の面々に始まったことではないだろう。今の自分の利益、次の選挙の当選につながること、官僚ならば自分の出世や天下り先、森友や加計ばかりでなく陳情は山のように来るだろうし、そんなことに取り紛れて面倒な仕事は後回しになり、何十年後の国の不利益など誰も責任をとらない。

 

第二次安倍政権になってから、恐ろしい法律がいくつも成立し、いつかの道へとどんどん進んで、国の私物化が顕著で分かり易かったのは、国民を目覚めさせたという意味では良かったのかも知れない。「安倍政権が」ということでなく、権力はしょせんそうしたもの、国民が要求しない限り、国民のための政治などしないものだと知らしめてくれた。違うとすれば、その時々の権力がどんなものを欲しがっているかの違いだけなのだろう。

 

とりあえずは現政権の暴走を止める必要があるけれど、これから時間をかけて、私たちは一人ひとりがしっかり考えないといけない。世界のなかでどんな国でありたいのか。本書には三つの選択肢が示されている。

1 日本自身も大国であろうとするのか。

2 大国を手伝う下請国家であるのか。

3 何らかのミドル・パワーとして自分のものを持っているのか。

  *その際、アメリカの言いなりにならないけれど、人道のためには命も賭けるの        か、あるいはそれさえもやらないのか。

 

私は迷わず3を選びたいと思うが、平和憲法を真剣に考えるとき、この3番のアステリスクの補足は、まだまだ考えなくては結論は出せない。

 

 

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護憲派改憲派も、戦争を他人事と捉えている」