よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

悲しい経年劣化と三十年前の風疹の置き土産

朝いつものようにテレビをつけた。ところがちっともニュースが始まらない。何で今日はこんなのどかな番組をいつまでもやってるの・・・と、いい加減ジリジリして、ふと気付いた。今日は休日だ。勤めていたときには三連休なんて指折り数えて待ったものなのに、毎日が日曜日の今はその連休を失念しているというおめでたさ。なんという幸せ!

 

ANNの調査で、内閣支持率が29.2%になったそうだ。現政権の実体を分かったうえであろうとなかろうと、とりあえず支持率が下がって国民をあまり侮ってはいけないと思ってくれればよい。けれども、果たしてどこまで国民の疑問に答えようとするか。問題の人たち全員が応じるのか、証人喚問という形を受け入れるのか。首相の本気度に注目したい。

 

 

ところで話は全然違うのだけれど、いまから30年ほど前、まだ私が青森県の片田舎で公文の教室をしていた時、子供たちの間で風疹が流行した。そこからさらに10年以上遡った第一子を妊娠した時、受診していた産婦人科で「あなたは風疹の抗体がないようです。今ちょっと流行ってますからなるべく子供の多いところには近づかないようにして気を付けてください」と言われた。その時は幸いかかることはなかった。

 

しかし教室には大勢の子供たちが出入りするので、いつの間にか誰かからもらったようで、私は風疹になってしまった。流行り病を大人になってからすると重症化するというが、本当だった。普段体温低めで37度で熱っぽいと自覚する私が、40度を超える熱を出した。発疹も体中いたるところにものすごく出て、医者に「これでは痕が残るでしょう。ちょっと高いけど良い点滴があります。使いますか?」と言われ、当時まだ三十代だった私は迷わず「お願いします!」と答えた。

 

その高価な点滴のお陰か、教室も週2回するうちの1回を休んだだけで復帰でき、発疹もきれいに消えた。消えた、と思っていた。ところが、何十年もたった五十代の終わりころから、体の調子が悪いときに腕や足にうっすら発疹らしきものが浮かぶようになった。

 

初めに気付いたときは蕁麻疹か何かだろうかと驚いたが、体調が戻ると消えてしまう。それに発疹の状態があの風疹の時のものと同じだったので、これはきっと点滴によって痕が残らなかったのではなく、たんに皮膚の層の下の方に沈めただけなのだろうと気付いた。そしてそれが体調が悪いと表面に浮かんで来るのだろう。なぜそうなるのかは分からないけれど。

 

そしてそれからまた何年かたって、とうとうこのところ足の発疹は出現したままになってしまった。年を重ねるのは悲しいことだ。顔にできた小さな吹き出物なども、若いときならしばらくすれば消えたのに、近頃はそのまま定着してしまうことが少なくない。虫刺されなども掻くと痕になって消えなくなってしまうので、極力掻かないように気を付けないといけない。こうしてどんどん体のあちこちが醜くなっていく・・・。

 

健康でいられるだけでありがたいことではあるが、若い人のつややかでシミ一つない肌を見ると、本当に羨ましい。でもこれから益々こうした自分の「経年劣化」を受け入れていかなければならない。それが年をとるということだから。そうした肉体の変化は避けられないけれど、せめて心持は、なるべくしなやかに美しくあるよう努力しよう。などと思いながら、相変わらず毎日が日曜日の幸せをダラダラと享受するばかりのダメな私だ。

 

 

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その点、猫は羨ましい。100歳と90歳のおばあちゃん猫たちだったけれど、見た目はそれほど年を取らなかった。ドリームなど最後までこどもっぽかった。