よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

辞書編纂の巨人二人の物語『辞書になった男』佐々木健一著

三浦しをんさんの『舟を編む』が、本屋大賞を受賞したリ映画化されたりして話題になったころ、「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」として、NHKBSプレミアムで番組が放送されたそうなので、ご覧になった方もいることと思う。その番組でディレクターを務めた佐々木氏が、番組の中では語りつくせなかったことも含めて、初めての著作としてまとめたのが本書である。

 

三省堂国語辞典」の編纂者見坊豪紀(ひでとし)と『新解さんの謎』で一大ブームを巻き起こした「新明解国語辞典」の編纂者山田忠雄。東大の同期生であり当初は一つの辞書を共同作業で作っていたこの二人が、ある時を境に不可解な決別をした。しかも山田先生は「新明解第四版」に、「時点」という語の用例として、その決別にまつわると思われる謎のような言葉を残していた・・・と、ミステリーのような書き出しで始まる。

 

まず、あまりにも辞書作りにのめり込んでいく対照的な二人の人物が興味深く、グイグイと物語に引き込まれてしまう。加えて、辞書の話だけに「ことば」についてのエピソードもふんだんにある。この二人の辞書以前は、どのような語釈が採られていたのか。辞書は世の中の「鏡」であり「鑑」だとするケンボー先生は、どのような語釈をかき、辞書は「文明批評」であると言う山田先生の語釈はどのようなものであったのか。こうした部分も非常に面白く、特に辞書は個性的であるべきと考えていた山田先生の語釈は実に挑戦的で、思わず手元の新明解国語辞典を開いてしまった。

 

へそ曲がりな私は、『新解さんの謎』が大変評判になっていたのは知っていたのだけれど読んでみようとはしなかった。普段その辞書を使っていて、「・・・の老人語」という表現が多々あって、変わった記述をしている辞書だとは思っていたが、分かり切った語を改めて引いてみたりはしないため、大胆な語釈の「恋愛」や「マンション」などは全く知らなかった。「辞書に求められるもの」という山田先生による序の文も、何十年間も手元にあったのに、今回初めて目を通した。ちなみに今私が使っている新解さんは、1989年発行の第四版である。

 

近頃は、すっかり手軽にインターネットで検索するばかりで、辞書を手に取ることはめっきり減ってしまった。塾をしていた頃に購入した大型のものなど、ヨッコラショと取り出すのも大変なので、もう何年も部屋の隅で埃をかぶっている。このところ人生のダウンサイジング!と随分書籍類も処分したけれど、使わなくても辞書は処分できずにいる。

 

子育て中も常に手近に国語辞典をおき、テレビなどで疑問に思った時も、子供に質問されて分からなかった時も辞書を引いた。結構辞書とは親しく付き合ってきたつもりだったけれど、それでも辞書についてあまり深く考えたことはなかった。

 

映画『舟を編む』で辞書の編集に携わる人々の苦労を知り、今回この本を読んで、「三国」「新明解」という代表的な辞書が、それぞれ一人の編纂者の努力で世に出たことを知った。しかも、言葉や辞書に圧倒的な情熱を持つ対照的な性格の二人の人間によって、出来上がった辞書にも相当な個性の違いがあることが分かった。

 

「ことばは不自由な伝達手段である」。新明解の山田先生の言葉だ。私たちは同じ言葉を話しているつもりだが、お互いの語釈は相当に違っているかも知れない。今日は自民党今井絵理子議員の「批判のない政治」という言葉から、若者と批判精神について書こうかなどと考えていたのだけれど、小田嶋隆さんのコラム「ア・ピース・オブ・警句」によれば、「批判」という言葉の語釈が若者と中高年とではかなり違っているらしく、簡単に語れないなと思い直した。

 

重要な役目を負いながら、長い間あまり世の中の表舞台に出ることの無かった辞書。その編纂者は、さらに日が当たることは少なかった。この本は見坊豪紀山田忠雄という言葉に人生を捧げた二人の偉人の生き方と、言葉というものの魅力に深く心を揺さぶられる、非常に感動的で興味深いものだった。

 

 

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