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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ルーツが分かっても分からなくても、人は「生き方」に意味がある

家系図を書くことがブームなのだそうだ。爽風上々さんが昨日のブログで書いていらした(「今こそ家系図を作ろう」岩本卓也・八木大造著 - 爽風上々のブログ)。それで納得がいった。過日「家系図は音訳者泣かせでした」というエントリを書いたとき、妙にアクセスが増えたのだ。「音訳」という言葉にそんなに訴求力があるとは思えないし、では「家系図」というワードに惹かれての訪問か。だとすれば、それについての言及はほとんどなく、さぞガッカリさせてしまったことだろうと思ったりしていた。

 

自分自身の家系については、幼い頃父が姉たちに話していたのを聞きかじっておぼろに記憶にあるものの、とくに調べようとも家系図を作ろうとも思わないが、別れた夫、息子たちの父親は、家がらを誇りにする鎌倉時代から続く家系の二十代目だった。

 

平成の大合併で今は市になったが、私が同居していた頃は南津軽郡〇〇町だった。舅は「町にうちより古い家が一軒だけあるが、残念ながらそこは書類が残っていない」と言っていた。夫の家にはきちんとした古文書があるのだそうで、地元のNHKが取材に来て、ローカル(だと思う)のテレビ番組で放送されたこともあるという話だった。

 

夫は東京の会社で仕事に行き詰まり、勝手に辞表を出してしまって、ある日、故郷に帰ると宣言した。私は相談がなかったことには腹が立ったけれど、すでに夫の生活は荒れ気味だったのでそれで心機一転できればとも思い、また、「大家族でにぎやかに暮らすのもいいじゃない・・・」という程度のお気楽な考えで、4歳と1歳になったばかりのおさなごを連れて転居した。

 

ところが、こうした古い歴史のある家柄だったせいか、賑やかどころではなく、いまだに「家風」だの「本家、分家」だのといった言葉が日常に溢れていて、私はいったいどの時代にタイムスリップしてしまったのかと非常に戸惑った。単語一つも聞き取れない津軽弁と、髪型から服装まで「本家の長男の嫁」らしさを求められる慣習の違いなど、まさに異国に行ったほど(行ったことないけど)のカルチャーショックだった。

 

親が亡くなった時、私の父は若くて世間知らずだったため、一人息子でありながら、自分の父親の若い後妻の親戚に全財産を騙し取られてしまい、実家とは没交渉になった。その結果、大正モダンボーイであったであろう父のつくる、当時としてはまだ珍しい自由で明るい核家族という雰囲気で私は育った。学校で習う男女平等という考えと相まって、平等どころかむしろ男勝りなくらいの娘だった。舅姑にしたら、さぞや生意気な嫁だったことだろう。

 

祖父や祖母やたくさんの親類に囲まれて賑やかな子育て・・・のはずが、このような厳格な家だったからか、親戚も特別な時以外あまり近寄らず、舅姑も好んで孫に手を出すという人たちではなかったため、近所のたくさんの方たちに助けてもらって育児をしていた神奈川時代を、かえって懐かしく思うくらいだった。

 

舅も息子たちの父親もすでになく、90歳を過ぎた姑にもしものことがあれば、鎌倉時代からの古文書を収めた蔵も壊され処分されてしまうのではないだろうか。鎌倉からの古文書とあれば、個人のものとしての価値はともかく、資料として価値があるのではないか。義妹か親戚の誰かが保存してくれればよいのだけれど。

 

 

婚家を出、津軽の地は離れてしまったが、そのままの姓を名乗っているので途絶えた訳ではなく、いちおう二十一代目に繋がっている。さらに、十六歳の孫は男の子なので二十二代目まで繫がってはいる。けれども、それにどれほどの価値があるか。現在生きている人は、必ずどこかから繋がって今に至っているのだ。突然降ってわく人間はいないのだから、そう考えれば誰もが何十代目どころか何百代、何千代・・・。

 

家系図で祖先を知り、おのれの命の価値を知り、次代につなぐ自分の人生を大切に思うというのならいいが、舅も姑も、旧家の人間であることに価値を見出している人たちだった。人は親を選べない。どんな家系に生まれても、それはその人の手柄でもなければ責任でもない。人の価値は、その人自身がどんな努力をしどんな考え方をしどんな生き方をするか、それが全てだと思う。

 

家系図があり、なければ書きなどして、立派であれば家柄を誇りに思うのも良いけれど、それを当てにしたり、それにとらわれたりするのは、間違いの始まりのような気がする。なまじ、誇るほどではないもののほうが幸いかもしれない。

 

 

 

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土曜日なら欠席だったが、雨で一日延びたおかげで、昨日は地元の中学校の体育祭に出かけられた。これは一緒に勉強しているNちゃんのクラスの長縄跳び。組体操とかダンスとか、危険なものや長い練習期間を要する種目は一切なく、ちょっと「ユルイ」穏やかな体育祭だった。