よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

家系図は音訳者泣かせでした・・・

marcoさんが昨日のブログに澁澤榮一翁の家系図を載せていらっしゃる(澁澤榮一傳 幸田露伴著 - garadanikki)のを見て、音訳ボランティアをしていた頃のことを思い出し、懐かしくなって思わずコメントしてしまった。

 

音訳ボランティアは平成9年度の初級講座を受講し、平成21年まで、何事も長続きしない私が(しかも仕事と両立させながら)、珍しく12年間も続けられた活動だ。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

文字ばかりの本はいいけれど、写真や地図が入っていると大変。まして系図などが掲載されている本がくると、とても気が重かった。カセットテープで録音していた頃は、とにかく音訳図書制作の決まり通りにタイトルや奥付を録音した後は、たとえ苦手な地図や系図があろうと、ひたすら原本の順番通りに読み進まなければならなかった。

 

ところがパソコンを使ってデジタル録音ができるようになると、嫌な所は飛ばして進んでも、あとからいくらでも切ったり貼り付けたりができるようになった。これが良かったのか悪かったのか、本文はとっくに読み終えても、なかなか仕上がらないというはめになる・・・。

 

近頃は紙の本の出版と同時に、電子書籍でも出されることが多くなった。デジタルの本は読み上げソフトを使えばたちどころに音声で聞くことができるから、ハンディキャップを持った方たちも、タイムラグなしに多くの新しい作品に接することができるようになったことだろう。

 

でも、挿絵や写真、地図、家系図、脚注といったような、かつて私が処理に苦しんだことどもは、どのようになっているのだろう。青空文庫の作品をネットで読んだり、キンドル用の小説はいくらか求めたことがあるが、文字だけの作品ばかりなので、このあたりの事情が分からない。

 

音訳初級講座の中で、講師が「もうしばらくすると、機械に本をかざせば合成音声で読んでくれるような時代が来ます」と言われるのを夢のような思いで聞いた。そうして何年か活動するうち、かつてのカセットテープの作品をパソコンに取り込んで、デジタルデータに直しCDに焼くという「編集作業」が音訳活動の中に入ってきた。

 

カセットテープでは聞きたいところをピンポイントで聞くなどということはできなかったが、CDになり、視覚障碍の方専用の再生機械が開発されると、栞を付けたり、ページ数で指定して思うとおりの箇所を聞くことが可能になった。階層を分けて編集することで、脚注などの処理も分かりやすくなり、専門書などを利用する方にはとても聞きやすくなったことと思う。

 

そうして、やがて録音図書制作の激しい使用(読み違えを直したりで、細かく何度も巻き戻しや早送りを繰り返す)に耐えるカセットテープも市場から消え、録音自体をデジタル録音機やパソコン(初期の頃は録音にはスペックも充分でなく、サウンドカードの取り換え等かなり面倒だった)でするようになった。

 

初級講座の時サンプルとして聞かせてもらった機械の読み上げたものは、まだまだ非常に不自然な箇所が多く、30分続けて聞くのも苦痛だろうという代物だった。

 

カセットテープの音をパソコンで編集し始めた頃、まだ「パソコンって音も出る機会だったの?」というくらいの認識の時代で、大きなデスクトップパソコンでも今と比べたら能力も驚くほど低く、容量の大きい音のデータを扱うとフリーズしてしまうこともしばしばで、機械音痴の熟女(まだ、その頃は)の集まりだった私たちはとても苦労した。

 

そんな頃を思うと、今は手のひらに入ってしまう小さなスマートフォンで綺麗な動画さえストレスなく見られてしまう、夢のような時代に暮らしている。

 

それなのに・・・。

 

いまだに人類は夢のような平和な暮らしはできていない、どころか、あの頃よりはるかに世界は険悪な情勢になってしまった。

 

 

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みんな仲良くネ!