よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

流される方がう~~んとラク、だよね。でも・・・

苦しくて、いっそ流される側に入ってしまいたい、などと考えること自体、実は恵まれているからなのだろう。自分のすぐそばで砲弾がさく裂し、大切な人が毒ガスの影響で泡をふいていたら、悩んだりすらしていられない。

 

気分転換に旅に出、つかのま楽しいときを持った。けれども帰ってくればまたひどい現実。世界でも、日本でも・・・。いったん少々浮いた分だけ、今度はかえって深く沈みこんでしまう気がする。

 

駅前で今日も金曜スタンディング。仲間のシール投票を手伝う。「昭恵夫人など、他の人も証人喚問に呼んだ方がいいと思いますかーーー呼ぶ、分からない、不要」というアンケート内容だ。

 

今日は先日より「呼ぶ」という欄にシールを貼る人が多かったが、それでも「不要」欄のシールの数に大差をつけるまではいかない。中には「政権が関与したことは明らかだけど、どうせ呼んだところで真実が暴かれるはずはないから、無駄」という、諦めきった「不要」選択理由を述べる人もいた。それほど、この国の大きな力は「あらがえない存在」となってしまっているのかと悲しくなる。

 

そして、今日もいつもと変わらぬ、圧倒的に無関心な人、人、ひと・・・。

 

はじめは「分からないから・・・」と拒んでいても、呼びかけに向き合って話を聞き、考え考えシールを貼ってくれるのは高校生や社会人ホヤホヤといったふうの若い人が断然多かった。選挙権があるか尋ねると「16歳!」と言う子もいた。「すぐに選挙権が持てるから、ニュースも見て、考えるようにしてね。投票できるようになったら行ってね」と言うと、みんなすなおに「はい」と答えてくれた。

 

話を聞いてくれた若い人たちが救いだった。

 

街の中のどこかにいるかも知れない同志。インターネットの向こう側に、確かにいる同志。そうした人々と、なんとかもっとうまく繋がれないだろうか。効果的にウエーブを起こしていけないものだろうか・・・。

 

 

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かわいらしい湯谷温泉郵便局。喫茶店かと思った。