よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

5か月待った本なのに・・・

10月に市民館にリクエストした本が先日やっと届いた。読んでみると確かに読みやすく適度に興味も引くので、あっという間に読み終えた。

 

けれども、ちょっと言葉遣いに引っかかるところがあり、サラッと読んでしまえばそこそこ良いお話だったのかもしれないが、その「引っかかり」が物語に酔うことを許さなかった。どちらかというとファンタジーとも言えるような作品なので、かえって小さなキズの与える影響は大きいかもしれない。こういう話ほど、うまくだまし通してくれないと、その世界に陶酔することは難しい。

 

ヒロインは小さな文具店をしながら同時に代書業をしている若い女性だ。事情があって母を知らず、ずっと祖母に育てられたのだけれど、その祖母は孫を立派な代書屋の跡継ぎにするため、美しい文字を書くことにとどまらず、言葉遣い、箸の上げ下ろしなど、日常生活全般にわたって非常に厳しく育て、そのことが物語の重要な要素にもなっている。

 

そうした設定であるにもかかわらず、ヒロインの言葉として「今日はお客もこなさそうなので」などというくだりが出現したので驚いてしまった。「笑わなそう」「行かなそう」と同じく、ここは「お客もこなそう」となるところだ。

 

さらに、その大変に厳格だったはずの祖母が、友人に宛てた手紙に「あの子(孫のヒロインのこと)を自由にしてあげたい」などと書いていたのでは、祖母の像がガラガラと崩れてしまう。そして、こんなことが気になりだすと、もうあれこれ細かなことに気が散ってしまってとても浮世離れした物語を楽しんではいられない。

 

本来なら、これらは編集者によって正されていたことだと思う。優秀な編集者や校正者が少なくなったということもあるのだろうが、それ以上に出版界が長い不況の中で売上第一主義になってしまい、売れる作家にはあまりうるさいことが言えなくなってしまったのではないだろうか。

 

その結果、言葉遣いの間違ったおかしな本が大量に出版され、人々はますます良い文章に触れる機会が少なくなっていく。テレビやインターネットなど、周りから目や耳に入るのはさらに乱れた日本語で、それらを見慣れ聞き慣れてしまって、「あれ、なんか変だぞ」と気付く感覚はどんどん低下してしまう・・・。

 

以前読んだ同じ作者の作品はどちらも結構好きだったし、長く待ったぶん期待も大きくなってしまっていたので、かえってそれが災いしたのだろうか。

 

 

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アタシはけっこうジユーホンポーに育ちました。(パソコンの上で舟をこぐドリーム)