よんばば つれづれ

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『カズサビーチ』山本一力著は、ペリーより先に日本に来たアメリカ人船長の話

山本一力さんと言えば時代物と思っていたので、市民館の新刊コーナーでこの本を見つけた時、「えっ、山本さんが現代物?珍しい」と思い手に取った。パラパラと中を見ると、やはり江戸時代のお話だったが、面白そうだったので借りることにした。

 

山本氏は、平尾信子氏の『黒船前夜の出会い 捕鯨船長クーパーの来航』を読んで着想を得、平尾氏のご自宅まで訪れてこの作品を書く承諾を得たのだそうだ。それくらいこのアメリカ人クーパー船長と、日本人漂流民、幕府関係者の交流に心を動かされたということだろう。

 

著者の作品への原動力となったその感動は、みごとに魅力的な一編の小説を生み出した。アメリカの捕鯨船マンハッタン号のクーパー船長から、ただ一人の黒人乗組員である料理人コンサーまで魅力的に描かれているし、シケに遭って漂流しているところをマンハッタン号に救われ、それから一か月余を彼らと過ごすことになった日本の漁民たちもいきいきと存在する。

 

そして描かれている場面は短いのに、読み手に強い印象を残すのが、江戸幕府の武士たちである。江戸城で幕閣の評定を仕切った阿部伊勢守正弘も素晴らしいが、マンハッタン号まで出向いて交渉した奉行や通詞の描き方が秀逸だ。時はすでにペリー来航の8年前だから、徳川幕府は弱体化して来ている頃だと思うが、見たこともない異人を目の前にしても、かくも真の武士らしく堂々と美しい所作ができたのかと感動する。

 

小説ではあるけれど、おそらくクーパー船長がこと細かに記した記録は残っているのであろうと思われるので、彼らがこのとき、武士や救助した漁民たちも含めた一連の日本側の対応(薪炭、食料、水などを感謝の意を表して無償で与えた紳士的武士的?裁量まで)を目にして、「ジャパニーズ」に敬意を抱いたであろうことは想像できる。

 

同胞22人を救助し、貴重な自分たちの食料や水を分け与えてくれた厚意に感謝しつつも、頑として上陸は拒み、日本海での捕鯨に際しても、陸地と一定距離を保って航行することを確約させる気骨。クーパーたちの視野に入った畑や山里が、勤勉な労働の証である美しさに包まれていたことなども記述があったに違いない。

 

船の難破漂流から一か月余、やっと漁民たちは上陸が許され懐かしい家族のもとへ戻れることになるのだが、言葉は分からないながらも寝起きをともにしたマンハッタン号の乗組員たちとの別れを惜しむ。クーパー船長は、奉行たちから日本人救出と本国へ送り届けてくれたことへの感謝の記念にと、葵の御紋入りの塗り物を贈られる。

 

こうした物語終章のやりとりは、幕府がもしも反対の結論を出していたら・・・と考えるまでもなく、疑い合ったり恐れ合ったりして武力に訴えるよりも、友好的に取引することの素晴らしさや有益さを痛感する。

 

アメリカ人であろうと、日本人であろうと、一人ひとりが自分の仕事に誇りを持ち、誠実に生きる人間は素晴らしいと、改めて気付かせてくれる物語だった。

 

 

さて、現実に目を戻せば、嘘や言い逃れにまみれ、地位や金にひれ伏して恥じない人間の群れ!

 

 

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3.19今日の集会&パレード。スタンディングの”言いだしっぺ”が挨拶するので集会だけ参加。いつもの駅前はほかのイベントのため使えず、今日は駅から徒歩10分ほどの公園が集会の会場。駅前から「言うこと、やること、信用、できへん!」という4枚の分割プラカードを持って、イモムシ行進で通行の人たちにアピールしながら移動した。参加者は100人ほど。スタンディングは、共催団体も降りたしPeace展も開催中とあって、今日は参加者少なめ。