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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ら抜き言葉席巻のツミと久々のサ変「する」

暮らし ことば

中学生のNちゃんは、いつもいろいろ悩んでいる。先週はオームやジュールで悩んでいた。今週は国語の文法だ。そもそも文法は苦手な子が多い。Nちゃんも前から文法は難しいと言っていた。動詞の活用が出てきて、形容詞・形容動詞の活用、さらには助動詞の活用まで現れ、混乱の極みだ。

 

昨日は国語の問題集を持って来て、分からない箇所をいくつか質問された。

 

「次の動詞に、あとに挙げた助動詞を適切につけよ」という設問で、

書く  着る  する  来る  と動詞が並び、

続ける助動詞は

れる・られる  せる・させる  う・よう   である。

 

「書く」は「書かれる」「書かせる」「書こう」で、できている。

「着る」が「着れる」と書いて×になっているのはなぜかと言う。

 

「ああ、Nちゃん、無理ないよね。近頃はもう世間ではほとんど『着れる』って言っているものね。NHKのアナウンサーでさえ、ちゃんと言える人の方が少ないくらい。私は時々メールで注意したりするけど、今はNHKもアナウンスの力より顔の可愛さやタレント性の方が大事なようで、ちっとも直してくれないんだよね。しょっちゅう耳にしていたら、おかしいと感じることはできなくなっちゃうよね。ごめんね」と大人を代表して謝った。

 

それでなくても、私たちの住んでいる地方で使われている三河弁では「食べれる」「着れる」が普通の言い方だ。私も三河弁の流れの中で、「冷蔵庫に入っとったこのケーキ、まだ食べれるかねえ?」と言われれば、なんら問題を感じない。ところが、「冷蔵庫に入ってたこのケーキ、まだ食べれるかしら?」(「かしら」も、いまや使う人はほとんどいないだろうが)と標準語の流れの中で使われると、途端にザラッとしたものを感じて、嫌だなと思ってしまう。

 

なぜなんだろう・・・と思って考えてみると、そうか、文法的に誤りなんだと気付く。決して正誤が先にあっておかしいと思うのではなく、直感的に違和感を感じてしまうのだ。それが母国語というものだろう。

 

そして、その直感はどこから来るのかといえば、赤ちゃんの時から延々と聞き続けてきた「インプット」情報だろう。その情報のほとんどがすでに「ら抜き言葉」ばかりになってしまっている14歳に、「着れる」がおかしいと感じとることは難しい。もちろん、いちおうくだんの問題集にも、人物のイラストがかかれ、吹き出しに「近頃は、ら抜きの言い方が増えているが・・・」という記述はあった。

 

そんな話をした後、辞書の「れる」の項を開いて見せる。

れる 助動・下一型 ㊀その動作・作用を他から受けることを表す・・・といった意味のあとに、

「五段活用・サ変以外の動詞から続く場合は、『られる』を用いる」

という記述があることを確認してもらう。

「着る」は「着ない 着ます 着る 着るとき 着れば 着よ」と活用するよね。これは何活用だった?   「上一段活用!」

そう、だから五段・サ変以外の動詞だから、「られる」を使うのが正しい。「あぁ・・・」Nちゃん納得。

 

と、ここまではまだ良かった。

「する」は先生も「分からないので他の先生にも聞いて、次の時間に説明します」ってなっちゃった、と言う。どれどれ。

「する」の活用は しない します する する時 すれば せよ 

「書く」の時に、「書かせる」となったけど、「書か」は活用の何形?と聞くと、しばらく考えて、未然形と答える。じゃあ「する」も未然形にくっつければいいんだよね、と言って、

「しせる」「しさせる」・・・ええっ??? おかしいね。

 

サ変「する」の活用ってどうだっけ?どこかに出ていない?と聞くと「ここにある」とそのページを開いてくれた。

未然形 さ・し・せ  と三つの形がある。そうだった。

させる しせる せせる  どれ?「させる!」と、無事落ち着くべきところに着地することができた。さ行変格活用、すっかり忘れてしまっていた。

 

母国語は文法を考えなくてもしゃべれるけれど、感覚では迷ってしまうようなとき、文法は正しい言い方を考える道案内になる。人類が話し始めた時には文法なんてものはなく、ただ勝手にしゃべったはずなのに、のちになって学者が文法として整理すると、みごとに整然と法則に従っていた。たくさんの言葉がきちんと整理整頓され、それぞれの引出しにストンストンと収まっていくようで、こんなところが、私が文法を好きになった理由かな・・・なんて話をNちゃんにした(私は整理整頓が好き)。

 

 

先週の冬休み明けの実力テストで、Nちゃんは学年順位が大躍進した。本人は「たまたま今回の業者のテストと相性が良かっただけで、次はまた落ちると思う」と弱気だ。「家庭では相変わらずあまり勉強していないようだけれど、少なくとも私の家に来た時はとても集中して勉強している。それだけでも以前よりは努力したんだよ。9月から4か月してきたその努力が、今回少し実ったのではないかな?良かったね」と彼女を讃えた。

 

彼女と一緒に勉強することを仕事にしたくはなかったので、私は報酬を受け取らずボランティアということにした。厚く積もった錆を落としながら、彼女と問題を考えるのは楽しい。勉強のあとにおしゃべりするのもとても楽しい。そのうえ今回のように成績が上がったと聞くのは、私にとって何よりの喜びだ。今回ほど大幅アップでなくてもよいから、少しずつでもNちゃんと私の時間が実を結んでいくといいなと思う。

 

 

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今日のコスモス会は、ガーナから来ているEさんのカントリープレゼンテーションだった。ノートパソコンや大きなモニター持参で説明してくれた。カラフルな民族衣装。

 

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カカオの実がこんな風に、いきなり幹にポコッとなるなんてビックリ!

 

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世界遺産になっているというケープコースト城。外観は美しいけれど、内部にはかつて奴隷貿易の拠点だったなごりがある。オバマ元大統領一家も訪れたそうだ。(写真はWikipediaより拝借)

 

首都アクラのある南部と乾燥地の北部では、驚くほどの文化的経済的格差がある。北部の学校の写真では制服を着ていない子や靴を履かずはだしの子も珍しくない。木陰が教室だというが、その木陰の教室の子供たちは実にいい顔をしていた。