よんばば つれづれ

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最初から最後まで泣きます『きみ去りしのち』重松清著

お忙しい方々からは、クリスマスや年の瀬を控えたこの時期に、まだ読書感想文を書いているなんて!と顰蹙を買いそうな気がする。孫が高校受験生なので、「ちっとも勉強はしてないけどいちおう今回の帰省は中止します」と長男から連絡があった。次男は年末年始忙しい仕事なので、おそらく帰って来るにしても時期がずれる。ということで年末年始も通常営業の私は余裕があるのだ。ごかんべん。

 

年末年始のように家族が揃って賑やかに過ごす時期に一人というのは、少々寂しいので、いっそ鄙びた温泉にでも・・・とも思うが、今頃になってこの繁忙期にとれる宿はないだろうし、今年は猫たちを送った年でもあるので、やはり家で静かに過ごそうと思う。市民館が休みに入る前にたくさん本を借りて、読書三昧の正月というのも悪くない。

 

ひとりならばそんなに張り切って料理を用意することもないし、掃除は夏に始めた「住み開き『よんばばんち』」や、中学生がうちに勉強に来ることになったことが張り合いになって、秋ごろから気になるところは少しずつ手を入れて来たので、それほどバタバタすることもない。

 

というような訳で、今年82冊目(たまに記録漏れがあるようなので、もう少しいっているかもしれない)の本の感想を・・・。

 

 

重く悲しい物語だ。けれども読後感は決して暗くない。1歳の誕生日を迎えたばかりの息子を、突然失った夫婦を中心に展開する。冒頭から物語にはずっと喪失感が色濃く漂い続ける。

 

主人公セキネは幼い息子を失っただけでなく、そのことで現在の妻ともギクシャクし、前妻との間にできた15歳の娘にも「私は演歌歌手で、この人はマネージャー」と人に紹介され、「セキネさん」と他人行儀に呼ばれる関係だ。そしてその娘と暮らす前妻まで余命いくばくもないことが分かる。

 

物語は九つの章から成っているが、第八章までが「旅をしている」で始まる。ロードムービーのように、セキネと10年ぶりに再会した娘を中心にした旅のなかでストーリーが展開する。そして各章に登場する人物もまた、深い喪失感を抱えた人ばかりだ。

 

旅を重ねる中で、息子を失ったセキネとその若い妻や、父にも母にも必要とされなかったという哀しみを抱え、いままた15歳にして母を看取らねばならぬ娘明日香も、さまざまな悲しみを抱えながらも優しい人々と出会うことによって、徐々に前を向けるようになっていく。

 

大切な人を失うということ。その人を大切に思い続けるとは?憎むことと赦すこと。忘れることと思い出さなくなること。時の経過・・・。さまざまなことを考えさせられる。

 

第六章に、交通事故で夫と二人の息子をいちどきに失った70代の柳井さんという女性が出てくる。近隣の休耕田を借りて花をいっぱい咲かせながら、問題のある子供達を預かる里親を何十年も続けている。その人が言った「優しさって、よくわからないんだけど、悲しさや寂しさが、じょうずに育っていったものかもしれないね」という言葉が胸に響いた。私もできることなら、この柳井さんのような女性になりたいものだと思う。

 

また、夫として特別不満もなかった主人公をサッサと切り捨て、自分探しの人生を選んだ前妻の生き方も心に残る。妻として母としては不器用な女性だったと思うけれど、あれこれ人のために働くボランティアで日本中に友人知人を作り、亡くなったあと多くの人の心の中に生き続ける・・・。

 

バラバラになりそうだったセキネと現在の妻と明日香が、多くの人との出会いや別れの旅を経て、なんとなく新しい関係を結べそうな予感を覚える終わり方に著者の優しさを感じた。

 

 

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