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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

やっと見られました!『この世界の片隅に』

大手の制作でなくても、ヒロインの声優がプロダクションともめて嫌がらせに合っていても、良いものは良いと評価され、世間の大人気に押されて、急遽、豊橋で一つだけの(でもスクリーン数は18)映画館でも上映されることになったようだ。巷でもネットでも話題の『この世界の片隅に』が、今日から上映開始となり、朝一番の10時の回に飛んで行った。

 

一昨日の夜、いよいよ名古屋でも浜松でも見に行こうと決心し、どっちがより便利か調べようと検索をかけ中部地方の上映館一覧のサイトを見たら、なんと「ユナイテッドシネマ豊橋」とあるではないか!

 

スタンディングのフェイスブックページでもこの映画を紹介している人がいて、名古屋の上映館を上げていたので、すぐ「10日から豊橋で見られます」という情報をコメント欄に入れた。そして2回目あたりから混雑するかもしれないと思い、朝一番の回で見る予定を立てて昨夜は休んだ。

 

時間ぎりぎりに行って満員だといけないと思い、今朝は待ち時間に読む本を準備して9時には家を出た。映画館まで徒歩で十数分。我が家は古いあばら家でも、御洒落で美味しい食べ物屋さんや日常の買い物、公共交通機関(これは地方都市では貴重なこと)が便利なうえ、市内で唯一の映画館も近いという恵まれた立地だ。

 

こうして準備万端で『この世界の片隅に』を鑑賞した。

 

映画は期待にたがわぬ素晴らしいものだった。戦争映画というより、背景に戦争をふくんだ、ある女性の成長記といった趣。むごいシーンもあまりなく、誰かを声高に責めるでもないけれど、戦時下の暮らしとはこういうものなのかとよく分かる。

 

ニュースで外国の紛争地のようすを目にしたとき、この人たちはなぜこんな銃弾の飛び交う所で暮らし続けているのだろうと思ったりするけれど、こんなふうにいつの間にか戦いは始まり、どこまで進み、どこで停滞し、いつ自分の身の上に降りかかってくるか分からず、そうしたなかでも食べて、暮らしていかざるを得ない、日常は続いているのだということがよく分かった。

 

 

以前短い期間だったけれどデイサービスで働いていた時、利用者に右腕のない女性がいらした。空襲で失ったとのことだった。当時女学生。どんなにつらかったことだろうと思う。でもとても前向きでしっかりした方で、残った片手で何でも普通にしていらした。

 

今年亡くなられた名古屋の杉山千佐子さんは、戦争で負傷した民間人の補償を求めてずっと闘っていらした。軍人には補償があるのに、巻き込まれた民間人に何もないのはおかしいと。国民には命も財産も全て捧げさせて、自分たちはのうのうと戦後も権力の座に居続けた。それが日本の権力者で、今もそれは変わらない。

 

原発廃炉費用もなにもかも最後は国民の負担。東電原発関係者で、これまで莫大な富を得てきた人たちは不問だ。いま現在だって東電の幹部の人たちは、いくらか減給しているといったところで、庶民から見れば大変な高給を取り続けていることだろう。

 

しっかり目を開き耳をそばだてて情報を集め、自分の頭で考えて、言うべきことは声にして言っていかないと、すずさんたちのように、いつのまにか大切な穏やかな日常を奪われてしまいかねないということに、この映画を見た人みんなが気付いてくれますようにと祈る。

 

 

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この世界の片隅の我が家に来てくれて、楽しい時間をありがとう。