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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

戦争の醜さを改めて知る、『三たびの海峡』帚木蓬生著

著者が「日本人が書いておくべき義務がある」として書いたというこの作品を、「日本人として読んでおく義務がある」と思い読んだ。

 

主人公十七歳の河時根(ハーシグン)は、徴用を受けた高齢で病身でもある父に代わるため、年齢を十八と偽って炭鉱労働者として日本に連れて来られる。それでなくても苛酷な労働条件なのだろうが、さらに現場の労務管理者たちがピンハネするため、牛馬にも劣るほどの扱いを受ける。

 

ろくに食べられず眠れないため作業がおろそかになったり、辛さのあまり脱走を試みたりすれば半殺しの目に遭わされる。いや実際に何人かの同胞はリンチで死んでしまう。仲間のリーダー的存在だった人物は、精神的な辱めに遭い、自殺してしまう。

 

このまま炭鉱にいてはいずれ自分も殺される運命だと悟り、時根は単独で脱走を図り、重い十字架と引き換えに成功する。

 

命からがら炭鉱を抜け出し、アリラン部落でかくまわれ、やがて港湾労働者として働き出した時根は、そこで働く日本人の若き戦争未亡人の千鶴と出会い愛し合うようになる。

 

日本の敗戦によって祖国解放となり、様々な困難を排してみごもった千鶴をつれ祖国に戻るのだが、敵国日本の女性を妻として連れ帰った時根に、兄姉も村の人々も冷たく当たる。連れ合いをなくしている時根の母は、家長となった長男の意見には逆らえない。

 

ただ一人、世間からはみだしたような存在の李爺さんだけが二人を受け入れ、自分の粗末な家の一角に住まわせてくれる。無事に赤ん坊も生まれ、貧しいながらもささやかな幸せな生活がしばし訪れる。けれどもそれも長続きせず、やがて千鶴とこどもは彼女を探しに来た家族に日本に連れ戻されてしまう。

 

最初は韓国から強制連行されて海峡を渡り、二度目は終戦後日本人の妻とともに、そしてさらにそれから四十数年の時を経て、主人公は三度目の海峡を渡り日本に来る。それは残り少なくなった自分の人生の中で、つけなければならないけじめをつけるためだった・・・。

 

 

1995年に三国連太郎さん主演で映画化されているようだけれど、その頃の私はまだ二人の息子を抱えて忙しい生活を送っていたからか、全くその映画についても、この作品についても知らなかった。

 

日本が隣の韓国に対して過去に行った理不尽な行為はいちおう知っているつもりだったが、この作品を読んで、何も分かっていなかったと思った。「強制連行」という言葉だけ知っていても、その先にあった隣国人に対するこれほどのひどい扱いは全く想像できていなかった。

 

しかもそうして連れられてきた人たちが、たとえ戦争が終わっても、決してもう元通りの生活には戻れず、その人たちにはもちろん親や兄弟がいて、複雑な事情のもとに生まれた子供たちもいて、慰安婦問題などを持ち出すまでもなく、戦争はまるで終わってはいないのだと思い知る。

 

主人公河時根が、最後に千鶴との間にできた息子時郎にあてた手紙にこう書いている。

 

「生者が死者の遺志に思いを馳せている限り、歴史は歪まない」

 

 

いま生きている私たち。静かに死者に手を合わせ、彼らが生きている私たちに何を望んでいるか、しっかり思いを馳せなければならない。

 

 

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