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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

無欲?たんに無気力?

10月11日、今日は宮中晩餐会の日だ。晩餐というくらいだから夜に催されるのだろう。30分や1時間食べて終わりではあるまいから、ニュース映像になるのは明日だろうか。その様子が映ったら、私は目を皿にして友人夫妻の姿を探してしまうだろう。席次次第で、映るかどうかわからないけれど。

 

 

ある方がブログに「あちこち出かけたいところがあるが出かける暇がない」というようなことを書いていらっしゃるのを読んで、ふと気付いた。そういえば、自分には今、こうした欲求が全くと言っていいほどない。

 

一時期そこここの花の名所に出かけたり、山に登ったりもして楽しかったけれど、それは誘ってくれる相手がいたからで、自分から「行きたい」とまでは思わない。テレビで、ネットで、美しい景観や興味深い文化や物を目にしても、出かけてまでこの目で見ようという意欲がわかない。母も猫たちも天国に見送った今、何時間、いや何日間家を空けようと自由なのだけれども。

 

通販会社から新しいカタログが届くと、ひと通り見て気になるもののページに印をつけたりはするが、どうしても欲しいとまでいかず注文しないうちに季節が過ぎてしまう。

 

ありがたいことに、世の連休も関係なくこうして半永久的な連休のなかで暮らしていても、食べたいと思うものがあれが食べにも行けるし、豪勢な旅は無理でも人並みの旅くらいならできる。ただ、したい!という欲求がない。

 

無欲になったのか。それとも単なる無気力か・・・。年齢のせいで心が動きにくくなった?でもドラマを見て、本を読んで、感動することはできていると思う。

 

今の私の望みといえば・・・、自分で自分の生き方を選ぶことができない人や生き物が、できるだけ、心安らかに暮らせる社会であってほしいこと。殺し合ったり憎み合ったりを少しでも減らしたいし、するのなら、大人が自分の判断で選択し、不本意な人を巻き込まない特別のエリアに行って好きなだけやるシステムでも考え出されればいいのにと思う。

 

個人的なことで上げれば、やっぱり次男に良き伴侶ができ、もう少しゆっくり生活を楽しむ日々が訪れてほしいと思う。前向きに生きていてくれさえすれば、結婚していようがいまいがいいのだけれど、明るいくせに(だからこそ?)寂しがり屋の性格の次男には、やはりそばに良き理解者がいてほしいと願う。

 

 

昨日嫁から「秋の味覚のおすそ分けです」と信州のりっぱな松茸が届いた。「数日前に収穫したもののようなのでお早めに」とあり、夕食にいただだいたのだけれど、涼しさに誘われて陽が翳ってから庭木の伸び放題だった枝を切ったりしていたので、Nちゃんの来る前に夕食を済ませなきゃと急いで食べるはめになり、うっかり写真を撮るのを忘れてしまった。松茸ご飯にしたいところだが、時間もなかったし、私は夕飯に主食を食べない(だかといって晩酌するわけではない)ので、シンプルに、焼くのとお吸い物で食した。一人きりなのでそれは豪勢な松茸尽くし、ごちそうさま。

 

 

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ちょうどこんな感じの3本だったので、ネットからお借りしました。

今日はこれから3か月ごとの歯の検診。

午後はコグニサイズ、そのあとまたNちゃんと勉強・・・になります、たぶん。