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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

現代と変わらぬ紫式部の嘆き『散華』杉本苑子著

本、動画等感想 社会のこと

杉本苑子著の『散華ー紫式部の生涯ー』上下2巻、900ページ弱を読み終えた。毎週コグニサイズ教室で利用している市民館の図書室でこの本を見つけた時、とても興味が湧いたのだけれど、読み進むのに少し骨が折れるかと敬遠していた。ところが、このところ軽いミステリーばかり読んでいたら物足りなくなって、やっぱりこの本を手に取らずにはいられなくなった。

 

そしていざ読み始めたら、面白くて止まらなくなってしまった。著者があとがきで、「日本人の中には平安朝の貴族というと、いわゆる引き目・カギ鼻のぽっちゃりとした風貌を持ち、雅た遊びや恋に明けくれる人々といった非現実的なイメージが抜きがたく根をおろしてしまっている。しかし政争にしろ日常の推移にしろ、平安朝時代の実態はけっしてなまやさしいものではなかった。(中略)従来の固定観念をできるだけ排し、本質的には現代人と変わらぬ生き身の人間として、登場人物を描くことにつとめた」と書いている通り、描かれている社会も人物たちも驚くほど現代と通じるものがあって、生き生きとした語り口に、思わず式部の生きた平安の世界に引きずり込まれていた。

 

そもそも紫式部が綴った『源氏物語』自体が、1000年もの昔に書かれたとは思えないほど今日的な物語だ。もちろん原文で読もうとすればこれが同じ日本語なのかと嘆かれる難しさで、いやでも時の隔たりを感じるけれど、現代語訳で読めば、人間とは本質的な部分では驚くほど変わらないものなのだと痛感させられる。

 

その物語を生んだ作者がどのような家庭に生い立ち、どういういきさつや心の動きから『源氏』執筆に至ったのか、ファンならばたまらなく興味深いし、そうでなくても一人の理知的でストイックな女性の一代記として、現代に十分通ずる価値がある。

 

ヒロインの周辺には、常に並び評される清少納言はもちろん、恋多き女で知られる和泉式部や、小野小町、伊勢といった百人一首でなじみの深い女性たちも登場し、いっそう興をそそる。

 

自分の娘を政争の具にするということはさすがに現代は無くなっているし、選挙を経なければ政治の権力の座に上っていけないというシステムの変化はあるけれど、道具がお金に変わっただけで、上も下も、人間の心理は驚くほど進歩していないように思う。

 

それにしても、当時は一握りの貴顕が富を独占し、庶民は貧苦にあえいで不満はくすぶり、治安が乱れて貴族の館もしょっちゅう放火に遭い、御所でさえ建て替えもままならないほどしばしば消失したらしい。そうしたことで失われた文化財も相当にのぼることだろう。

 

つくづく、憲政こそが庶民にはもちろんのこと、結局は国家にとっても富をもたらす最善の法だと思う。けれどもいつの時代も、力を持つものが自分だけいい思いをしようと欲張るゆえに、社会に損失を与えてしまう。平安朝のように庶民のあずかり知らぬところで政治が決まっていった時代はいざ知らず、選挙制度のある現代、有権者が賢くなれば、そういう社会に害をなす権力者を生み出さないようにすることはできるはず、なのだけれど・・・。

 

 

子ども手当をそっくり防衛費に回せば、軍事費の国際水準に近づきます」と某大臣が言ったとか。教育費の国際水準には近づかなくてもいいのだろうか。

 

紫式部が権力闘争の醜さにうんざりして、一旦筆をおいた『源氏物語』に『宇治十帖』を加えたと著者は書いている。その式部の嘆きは、相も変わらず現代の我々の嘆きでもあることが残念だ。

 

 

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加山又造氏の絵を使った装丁も美しい