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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『平和通りと名付けられた街を歩いて』目取真俊初期短篇集

この前のばななさんの『なんくるない』が「観光客の書いた」沖縄の話だったので、「生活者の書いた」沖縄の話をと思い手にした。

 

やはり相当趣は異なっている。

 

30ページ前後の作品3篇と、80ページ前後の作品2篇とでなる短篇集だ。ちょっと気持ち悪くて苦手な話もあったが、後半の2作品にはとても考えさせられた。

 

表題作『平和通り・・・』は、沖縄の献血大会に皇太子夫妻が出席するために過剰警備となり、パレードの通る「平和通り」で魚の行商をしていた人たちやその家族が理不尽に翻弄される物語だ。

 

この話自体はもちろんフィクションだけれど、皇太子ご夫妻が沖縄を訪問し戦跡で慰霊をなさるなどの感動的なニュース映像の陰には、確かにこのような沖縄の人々の葛藤や新たな痛みがあったのだろうなと想像される。1975年の火炎瓶事件があっただけに、その後のご訪問の警備はかくもありなんと思われる。けれども、これがもしほかの土地だったとしても、同じようなことが行われたのだろうか。

 

沖縄の住民の数と戦死者数とを考えれば、沖縄の人々のかなりが何かしら戦争の犠牲者と関連があることだろう。天皇に対して複雑な思いがあって不思議ではない。また常に内地に搾取され犠牲になってきた歴史を思えば、我々本土の人間にもどれほどの恨みつらみがあることだろう。

 

それらをすべて呑み込んだうえでの、『標的の村』や『戦場ぬ止み』などの映画で見られるあの明るさなのかと思うと、なんと沖縄の方たちは強く心の深い方たちかと、あらためて感動する。私たちはいつまでその寛容さに甘え、つけ込んでいるのか・・・。

 

最後の『マーの見た空』は、少し知恵の遅れた少年「マー」との子供の頃の交流にまつわる悲しく残酷な物語だ。おりしも、社会は障碍者とどう向き合うべきかがさかんに語られている。

 

日常の中に当たり前のように「マー」のような少年がいて、からかいやいじめの対象にもなりがちだった時代(私が子供の頃はまさにそうした状況だった)、施設の整備が進んで隔離され、暮らしのなかであまりそうした人々の存在を意識することがなくなった時代をへて、いままたマイノリティーの人たちも普通に包摂して行く社会に向かおうとしている。

 

医学や科学が進歩して病気や障碍についての理解が進んでも、人の心というものはなかなか変わりにくいものだ。これからも、少年「マー」の味わった悲しみが何度となく繰り返されていくことだろうが、少しずつでも私たちは学んでいきたい。

 

 

8月に読んだ本は12冊。仕事を退職してから3番目の読書量だった。スタンディングに行かなくなったり、今月1か月夏休みというサークルもあったりで、時間が豊富だった。読んでもすぐ忘れる、人生に深い影響を受けることが少ない、という薄味の読書になってしまったけれど、それでも本当に心に響いたものは案外残っていたりもする。とにかく、私にとって今のところ読書は貴重な楽しみのひとつだ。活字を追える視力が持ち続けられますように・・・。

 

 

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この本にピッタリな装丁

 

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ちくま文学の森』全16巻もやっと読破した

 

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装丁は大好きな安野光雅さん(ピンボケご容赦!)