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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

人生七十古来稀なり

高齢化社会の到来で、今どき七十といっても、自分が年寄りだとすら思っていない方も珍しくないのかも知れない。古稀などと言いながら、いまや70歳などザクザクいる時代だ。

 

けれども、近頃私はしきりとこの言葉を意識する。生物としての「ヒト」としては、やはりこの言葉のように六十数年くらいが適当な寿命なのではあるまいか。65歳の私などそろそろお迎えの来る頃合いである。

 

私には、一番上の姉と末っ子の私の間に二人の兄がいる(下の兄が白血病で13歳でなくなってしまったことは、以前このブログに書いた)ので、姉とは11歳の年齢差がある。年は離れていても二人ともお洒落が好きなので、私が大人になってからは、寄るとさわると身に付けるものはもちろん、暮らし方や生き方を含めた「美」の話で盛り上がったものだった。

 

それが、近頃その姉から電話があると体や健康の話ばかりで、気が付くと1時間近くもしゃべっていたりする。少し前まで、私は駅などで年配の女性たちがいつも病気や体の不調の話ばかりしているのを、苦々しく聞いていた。そうして、自分は年をとっても決してああはなるまいと戒めていた。ああ、それなのに!である。

 

そしていつも二人して行きつく結論は、「現代は長生きし過ぎなのよね」ということである。生物としては六十数年使用するように体が設計されているのに、今はそれよりはるかに長生きするため、いろいろと不都合が出てくるのだ。

 

世はなべて不老長寿指向のようだけれど、私も姉も(たぶん二人とも病気らしい病気もしたことがないし、母に似て長命を運命づけられてはいるのだろうけれど)できることならあまり老いさらばえた姿をさらさずに、人生にGood byeしたいのだ。安楽死が法的に認められたらいいのにくらいに思っている。

 

生き方は選べても、現在のところ死に方は選べない。けれども、あまりいつまでも年寄りが出しゃばっていないで、せめてある程度の年齢になったら後進に道を譲り、黒子になったらどうかと思う。今の世のなか、日本は政界も財界も、権力を握る人たちの平均年齢が高過ぎだ。

 

年金支給年齢の引き上げもあって、これからますます働く人の年齢は高齢化していくのだろう。医療の進歩やアンチエイジング技術の発達で、昔より肉体年齢の若返りもあるかも知れない。けれども、案外変えられないのが意識だ。

 

昨日のエントリでも触れたけれど、いろいろな場面で、若い世代の意識の柔軟さや古い価値観にとらわれない発想に感心することが多い。こればかりは、金と暇にあかせてトレーニングジムに通おうが、どんなにサプリメントを飲もうが、手にすることのできないものだ。

 

いよいよ明日投票日となった東京都知事選だけれど、たとえばこれを立候補年齢60歳未満とすれば、主要三候補はもちろん、21人という史上最多の候補者が、一気に半減してしまう。国会議員にしても、おそらく似たようなことになるだろう。経験が重要なこともあるだろうが、それは黒子の先輩方がブレーンに参加してサポートすれば良いことだ。

 

 

一時期、産業の「重厚長大」が時代遅れと言われたが、私には、今や人材の重厚長大が社会に悪影響を及ぼしているように思う。重要な役職を歴任してきた高齢の方々、いい加減ちょっと身を引いて、若い世代の応援団、サポート役になったほうが渋くて格好いいと思うのですが・・・。

 

 

1960年代、私のティーンエイジャー時代は、まさに「人生七十古来稀なり」だったのだ。

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http://www.garbagenews.net/archives/1940398.html のサイトより

 

 

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私が小さかった頃、お医者さんに行くのは贅沢だった。たいていの家庭で、風邪やちょっとした病気は、こうした置き薬で対処していた。

 

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定期的に回ってくる「越中富山の薬売り」のおじさんがくれる紙風船が楽しみだった。

 

(写真は2枚ともネットからお借りしました)