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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

熟成のつもりもなく寝かせているモノ

5年物である。フランス人の友人知人の多い我が友が言うことには、フランスからの来客を観光案内すると、多くの人が着物を土産に買いたがるそうだ。欧米人は知人に土産を買う習慣はないけれど、自分用や家族などのために和服を欲しがる。けれども適当な値段のものがなかなかない。洋画でよく見かけるように、彼らはそれを部屋着として使うのであって外出着として着る訳ではないのだ。

 

今でこそ中国や東南アジア製の安い浴衣があるけれど、以前は浴衣ですら結構な値段だった。それで、ニッチ産業として外国人観光客向けの安い着物を売りたいと友人は考えた。日本の消えゆく伝統的な柄を残すことにも微力ながら貢献できるので、一石二鳥だと。ついては私に手伝ってほしいと言われ、当時勤めていた会社を少しでも早くやめたかった私は、二人でこの仕事を軌道に乗せることができれば会社を辞めることが可能になると思い、協力することにした。

 

そうして、共同出資で小さな会社を作り、「ガーゼ寝間着」に的を絞って商品を探した。ある時期までは成人女性のかなりがごく当たり前のように使用していたガーゼ寝間着だけれど、いまや作っているところはとても少なく、しかも判で押したように白地に藍一色の線描き模様のものしかない。

 

やっと岡山県に伝統的な和柄のガーゼを使ったセンスの良いガーゼ寝間着を作っている工場を見つけ、メールのやり取りをして「一度見に来ては」ということになって二人で岡山まで出かけたのが2010年のことだった。

 

まだ40代くらいの社長さんが素人の私たち相手に親切に助言してくださって、まずは当初の商品として男女それぞれ3柄ずつ、計6種類の製品をお願いした。次回からは大阪の生地問屋に直接行って生地から選べば、もっと自由に柄を選べ、安くもなると教えていただき、今回は第一希望の柄が男女とも在庫なしで次善の選択になったが、いずれ増産の折は大阪へ行き、本当に使いたい柄で作りたいと希望も膨らんだ。

 

そうして待ちに待った初回の製品が出来上がり、商品に入れるラベルも苦労してパソコンで作り、値段設定もして、まずは手始めに岐阜は高山の土産物屋さんに営業に行こうと切符も手配していた。

 

ところがところが、大変なことが起こって計画は無残に崩れた。東日本大震災だ。私たちの出張は2011年3月12日の予定だったのだ。

  

その後福島第一原子力発電所の爆発などもあり、外国人観光客は激減してしまった。それでも気持ちを奮い立たせて4月には京都に行ってみたが、やはり今はとても新しい土産物を入れる状況ではないと、どこの店でも断られてしまった。

 

 

このようにしてスタートでつまずいてしまった私たちは、その後なかなか立ち直ることができず、そうこうしている間に、友人はご主人が名古屋での仕事を定年退職なさることになって、必要がなくなった豊橋の家を売却して住まいを軽井沢に集約することになってしまった。

 

かくして男女3種類ずつ計80着ほどの初回の商品が、友人がフランスへ行くときに土産として使用した数着や、私が家族にプレゼントしたもの以外、ほとんどそっくり塩漬けになっている。

 

もういいかげん、原価割れの値段になっても仕方がないので、ネットで売るなりなんなり考えないといけないと思いながら、友人ともこの件について相談するでもなく、グズグズと我が家の押し入れで大量の商品を寝かせている。

 

 

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