よんばば つれづれ

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沖縄、高江で起きていること

「政府の沖縄いじめ、許さない!」とヘッダーに掲げながら、何ができているかと自問すれば、恥ずかしさに消え入りたい気持ちになる。参院選後たちまち始まった信じられないような暴力的な光景に、安倍首相が好んで使う「日本国民の命と安全を守る」という言葉の「日本国民」に、沖縄の人々は入っていないのだと改めて思い知る。

 

やんばる東村 高江の現状を伝えるサイト

http://takae.ti-da.net/

 

毎日とっても疲れます。
なぜこんなことをしないとけないのでしょう?
私たちはただ沖縄で、高江で、やんばるで普通に静かに暮らしたいだけなのに。
豊かな自然を子供達に残したいだけなのに。

 

初めのこの数行を読んだだけでも、申し訳なさで心が痛む。愛知県の機動隊も行っているようだ。

 

参院選後に豊橋スタンディングのグループで、1年間の活動の総括と今後の取り組みについて話し合う場を持った。スタンディングに意義を見出し、今後も取り組み続けるという人も少なくなかったが、「強い言葉やネガティブな言葉のプラカードを見て、立っている人たちに距離を感じた」と友人に言われたという人もいた。

 

私自身も、周囲に影響を与えるどころかむしろ後半は参加者がだんだん減ってしまったことや、昨年の秋あたりにはある程度共感を持って掲げることができた「アベ政治を許さない」というメッセージが、少々社会の雰囲気にそぐわなくなっていると感じていたことから、そうした意見にも共感を覚えた。

 

どうしても、長く運動に携わってきた人ほどこうした考え方を軟弱と捉えがちで、この1年間のように従来からの活動団体と共催で集会やパレード(実態は完全に「デモ」)を続ければ、なかなかソフト路線への移行は難しいと思われる。

 

だから、私は何か新しい伝え方を・・・と考えていたのだけれど、この頃の沖縄に対する政府のやり方を見ていると、やはりもう一度駅前に行って、政府に抗議するプラカードを掲げた方がいいのだろうかとも思えてくる。効果いかんではなく、何もせずにいることにいたたまれない思いだ。

 

同じ人間なのに、なぜあのような強引なやり方が平気でできるのか、なぜそうした冷酷な政府を支持する人々が大勢いるのか、私には不思議でならない。日米地位協定も、沖縄の米軍基地も、どうして根本から「変える努力、無くす努力」を放棄しているのか。

 

あまりに沖縄に基地が集中しているのは、アメリカにとっても危機管理の観点から望ましいことではないという意見もある。移設ではなく撤去を、受け入れられるかどうか、なぜ当たってみようとしないのだろう。

 

私の考えは、やはり対価として相当の「美味しいこと」があるから?というところにしか行きつかない。だってよほどいいことがあるのでなければ、あのようなむごい事態を平然と見ていられる訳がない。まして、そんなことを指揮できるわけがない。

 

 

出不精の私は、死ぬまで沖縄には行かないかも知れない。けれどもあの美しい海が破壊され、多くの生きものたちが消えていくことは悲しい。それ以上に、基地のそばに暮らす人々が危険や騒音から逃れられない生活を強いられていると思うと、心がザワザワして安らげない。

 

 

一人の小さな声 何も言えないけど 

それでもみんなの声が集まれば 何か言える 何か言える   「一人の手」より

 

なんとかみんなで声を上げる方法はないのだろうか・・・。

 

 

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信州から届いたブルーベリー。ご近所におすそ分けしたあとなのでだいぶ減っている。

私個人は、申し訳ないほど安穏な日々なのだけれど・・・。