よんばば つれづれ

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老後のために娘を?

何人かの、子育て中のお母さん方のブログを楽しみに読んでいる。その中の一人のかなさん(id:chiisaku)が気になるテーマを取り上げていらした。思わず長いコメントを書き込んでしまったのだけれど、改めてご紹介したい。

 

chiisaku.hatenablog.jp

 

長男が家督を継いでいた時代は男子を産まないと大変だったようだが、現代ではむしろ男ばかりの子を持った女性は、かなさんのように「女の子がほしいでしょ」と言われることが多い。息子二人だった私もしばしばそのような言葉を先輩ママから頂いた。

 

最初妊娠の時、私は女の子がいいと思っていた。たんに髪の毛にリボンを結んでやったり、スカートやワンピースを縫ったり(男の子のズボンは少し難しい)、服の余り布で小さなバッグも作ったりしたら楽しいだろうなという程度の思いだったのだけれど。

 

今と違って、実際に生まれて初めて男の子と分かった訳だが、出てきてしまえば元気なことに感謝するばかりで、性別などは気にならなかった。女の子も育ててみたいとは思ったが、お産が楽だったこともあって、当時私は最低でも3人以上、女の子が生まれなければ何人産んでもいいくらいに思っていたので、二人目が男の子でも全く気にしなかった。

 

やがて私以外の周囲の大人たちが子供は二人で充分と思っていることが分かったのと、とやかくするうちに夫婦の関係もぎくしゃくし始め、結果的に息子二人の母として生きてくることになった。でも、女の子がいたら良かったとは、ただの一度も思ったことはない。

 

 

子供はひとり、ということも増えた現代、男の子よりむしろ女の子の方が老後が安心で良いという意見はよく目にする。自分の老後の世話を当てにして娘が良いと平然と仰る方々は、よほど自分の親御さんのお世話を良くなさったのだろう。と同時に、夫の親だったら、同じようにはいかない(あるいはいかなかった)と思われるのだろう。私は自分があまり母に対して良い娘ではなかったので、よけいに娘が欲しかったと思わないのかも知れない。

 

 

かなさんへのコメントにも書いたけれど、私は子供というものは神様から預かるのだと思っている。人間は自立するまでに非常に時間のかかる生きものなので、一人前になるまで預かって育て、やがて社会にお返しする。だから自分の子であるが自分の勝手になるものではない。「自分の子をどう育てようと親の勝手だ」と言う人もいるが、子はやがて社会の一員になるのだから、それは少し違うような気がする。

 

 

自民党改憲草案には「家族は助け合うこと」という項目があり、暗に保育も介護も行政を当てにするより家族で何とかしなさいと言っているようだ。何代もの長い時間、同じ場所に住み続けた時代にはそれもできたかも知れないが、18歳で親元を離れ、その後故郷には戻らないことも少なくない現代には、なかなか難しい。

 

かつて、跡継ぎだからとか、親を見なければ、などの理由で、自分の本当に進みたい道を断念した人がたくさんいたことだろう。やっとそうした「家」のしがらみから自由な時代になったと思うのに、また、娘を自分の安穏な老後のために縛り付けるようなことがしたいのだろうか。

 

長生きの時代、確かに最後は自分で自分のことができない時が来るかもしれない。でもその時になって、その時の状況の中で最善の策を考えれば良いのではないだろうか。その時に、家族に必要以上の負担や犠牲を求めるのではなく、社会や行政が肩代わりする選択肢が準備されているのが、豊かな社会ではないだろうか。娘が一番安心で遠慮がいらなくて自分が幸せだからと、子供がどんな人生を選ぶかも分からない時からあてにしてしまうのは、親のエゴのように思われる。

 

 

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今日はジャスコ豊橋南店前の交差点でスタンディング。

スーパーマンは私を入れて5人。

人物があまりに小さかったのでトリミングして大きくしたらボケてしまった。

 

 

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食べたいものはほとんど見つからないけど、食べたい気持ちはあって、

私が台所にいると、時折りやってきて私を見上げている。

今日はササミをソテーして小さく裂いてやったら食べた。

細かく刻むより、手で割いた方がいいらしい。

味を付けないとさすがに食べないので、少し味を付けて・・・。

塩分より今は少しでも食べることの方が先決かなと。