よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

憲法記念日の豊橋駅前、白熱でした!

今日は憲法記念日であり、同時に毎月恒例の澤地久枝氏呼びかけによる「アベ政治を許さない」全国一斉抗議行動の日でもあった。それで、両方の活動がコラボした形になり、120人という、パレードの時にもひけを取らないほど多くの人が集まった。

 

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(駅ビルの出口からズーッと両側に長く並んでいるため、ボリュームが分かりにくい)

 

 

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通常のスタンディングも、毎月の「アベ政治を許さない」の抗議行動も30分だけれど、今日は1時間。その間ずっとリレートークも行った。参加者の中には、このあと名古屋の護憲の集会やデモに参加する人もあり、そのため豊橋駅前の活動は10時からのスタートとなった。(私の後ろ姿も写っています。さてどれでしょう?うーん、もう少しシェイプアップしなくっちゃ!)

 

 

おりしも、駅前の他の一角では公明党の山口代表が来て街頭演説をしていて、動員がかかったのであろう大変な人が集まっていた。

 

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だから、軽減税率は百害あって一利なし、なんだってば!

こんなデカデカと書いて自慢することじゃない。

決して豊かではないのであろう一般の学会員にとって、

税金が1円でも安いのは「おお、ありがたや、ありがたや・・・」

とひれ伏すほどのこと・・・なのかも知れない。

ちゃんと自分の頭で考えようね、費用対効果!

 

 

昨夜の『クローズアップ現代+(プラスは名ばかりの、実質マイナスの劣化番組)』は改憲派護憲派の動きを紹介していた。あれを見ただけでも、少し考える人ならすぐ分かったはず。改憲派は、強力な国家のもと「右向け右っ!」と号令をかけたら、素直にパッと右を向いている国民を作りたがっている集団なのだということが。

 

印象的だった意見。「個人の自由や権利を言い過ぎているから、こんなに我儘な人間ばかりになった」と言っている人がいた。改憲運動に熱心に取り組んでいるある主婦は「家庭こそ社会の基本。個人の自由ばかり言って家庭をおろそかにしたから、こんなに結婚しない社会になった」と言っていた。

 

私も現代の結婚したがらない風潮は残念に思っているけれど、だからといって、かの国のようにどこかの国から拉致してきた人と「さあ、結婚しなさい」と国家から強要されたりするのはまっぴらだ。自由で自立した個人が、それでもなお、共に生きる人がいた方がより人生が豊かになる、と思って選ぶのが結婚ではないだろうか。

 

改憲派の人たちがしきりに言う「美しい国」「美しい国柄」「固有の文化習慣」。透けて見えてくるのは、戦前、戦中の国家の強い統制権や、年齢性別で限定されてしまう選択肢の少ない生き方、国の社会保障を要求したりせず、「美しく助け合う家族」の姿だ。

 

「国があってこその個人」と言っている人もいた。いや、人がいて、うまく暮らしていくための方便として「国」という意識ができたはず。宇宙から見る地球に国境線はないように、本来なら「国」などというものはなくてもいいのだ。「国」のために国民が犠牲になった歴史が、やはりちゃんと伝えられていないのを感じた。またいざという時に国民を「国が守ってくれる」と無邪気に信じているが、かつてそのいざという時に、偉い人ほど国民を見捨てサッサと逃げ出した歴史的事実も伝えられていない。そうした過去の事実を知ったうえで、なお、国家を頼ると言うのならもう、「どうぞご勝手に」である。

 

 

改憲派の人々が「美しい国」と言うとき、その裏側にはりついている根拠のない自国の優越意識も気になる。日本だけが美しいわけではない。よほどの事情がない限り、どこの国の人も自分の国を美しいと思っているだろう。自分の国だけが美しいとか、特別な国柄であるとか考えることが、排他意識に繋がり、争うことにもつながっていくように思えてならない。

 

そのくせ、同じ人たちが「軍隊を持って普通の国に」なりたがる不思議。平和憲法を持ち軍隊を持たない、変わった国でいいではないか。極東の島国で、外からの影響が比較的少なかったからか、穏やかで宗教にも大らか、そして困難があっても忍耐強く、和を尊ぶ独特の「国柄」は大切にしていきたいと思う。

 

世論調査でも改憲は必要ないと考える人が多いが、心配なのはそれよりも多い「分からない」人たちだ。くれぐれも「知る努力」をして「自分の頭で考えて」ほしい。大切な大切な自由を、失ってしまってから嘆いても遅いのだから!!!