よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

久しぶりに筍を茹でる

今日ご近所から筍をいただいた。一人暮らしなのに大小4個もあって、我が家の一番大きな鍋は、電磁調理器に替えた時に購入したクリステルの径20センチのものなのだけれど、全部はとうてい入らないので、2度に分けて茹でた。

 

どこかにおすそ分けしないと食べきれないかも・・・と心配したことが可笑しくなるくらい、茹でて皮をむけばいっきにかさが減ってしまう。そうだった、そうだったと、久しぶりの感覚にひたる。

 

スタンディングに出かける前にいただいたため、今日は茹でただけで時間切れ。食べるのは明日のお楽しみ。

 

 

青森では筍と言えばもっぱら姫竹である。季節になるとあっちからもこっちからもこれをいただいた。我が家は舅も姑も山菜採りなどに全く興味がなかったが、周りには山菜採りやキノコ採りの好きな人が多かった。ご近所から頂いた野菜類の下ごしらえは姑が手伝ってくれたので良かったけれど、この姫竹は小さいのでかかる手間が半端ではない。

 

そのわりに、初めの頃は食べ慣れないこともあってか、キュッキュッとした独特の歯ざわりに少々馴染めず、それほど美味しいとも思えなかった。今は、友人がお米やリンゴと一緒にこの姫竹の水煮の缶詰を荷物に入れてくれたりすると、嬉しくてたまらない。

 

だから、私にとって「筍を茹でる」というとこの小さな姫竹の方がなじみが深く、むしろ関東よりこちらでポピュラーな、孟宗竹の大きなものを茹でたことの方が少ない。

 

婚家にいた間は、料理をするのは私だけれど、野菜など周囲から頂くものも多く、また材料の調達は車で毎日街に「お茶飲み」に出かける舅の役割だったため、買ってこられれば尾頭付きの大きなタラも使い、ホヤもナマコも気持ち悪いなどとも言っていられず使った。

 

結果的にそのお陰で、息子たちを育てるときに手抜きの料理にならずに済んだのだけれど、その制約がはずれると、忙しさにかまけてもともと料理好きでもなかった私は手抜きばかりになり、息子たちに「おふくろの味」も残せなかった。

 

 

手間のかかる台所仕事は、なんだか気持ちを優しくしてくれるようだ。

 

 

 

f:id:yonnbaba:20160422224103j:plain こちらでは見かけることのない姫竹、処理前。

f:id:yonnbaba:20160422224224j:plain 懐かしい煮物。どちらもネットからお借りしました。