よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

気高い原節子さんの美しさの秘密

今日の『クローズアップ現代』は原節子さんがテーマだった。番組の中で、原さんがお書きになった文章を橋本愛さんが朗読したのだけれど、はしなくも現代の若き女優さんの残念さが浮き彫りになってしまった。

 

橋本さんは自分の言葉を一言も発した訳ではないが、50年前の伝説の女優との明らかな差が露呈したのは、「鼻濁音」である。原さんの出演作を何本か見たが、原さんが鼻濁音を使っていらしたかどうかの記憶はない。けれども全く違和感を感じなかったので、当然きちんと使っていらしたのだと思う。橋本さんが読む原さんの書かれた文章の言葉が美しいだけに、鼻濁音を使わない「が行」で読むと、なにか違和感を覚え、気になってしまった。

 

最近の若い人は鼻濁音を使わない(知らない?)人が多い。訓練を受けているはずのアナウンサーでさえ珍しくない。私などの世代だと、中学校の放送部でも鼻濁音の指導を受けた。小学校の合唱部では、指導した子供を必ずNHK合唱コンクールの全国大会に連れて行く鬼のように厳しい女性教師が、鼻濁音で歌わないと「きたない!」と猛烈に怒ったものだ。

 

日本語の単音は少しずつ減少しているようで、私が子供のころすでに「ゐ」や「ゑ」の音はなかったが、「お」と「を」は発音を区別して教わった。ところが、昭和60年代ころ、私の学習教室に来ている子供たちがみな、「を」を「お」と発音していることに気付いた。学校でそう教えているのだということだった。

 

まして、鼻濁音は正規の授業の中でなく、部活動の中で指導されたものだ。消滅しかかっているであろうことは想像に難くない。けれども、これを使った方がだんぜん美しく聞こえる。ロックなどはいいとしても、鼻濁音を使って歌えば歌も一段と美しくなること請け合いだ。

 

 

それにしても、この番組の中で紹介された原さんのエピソードで、あの美しさが決して幸運に持って生まれた顔立ちゆえだけのものでないことが分かった。普段の言葉遣いから、自分の撮影以外の時の過ごし方や、ストイックな生き方まで、カメラに映っていないときを含めての彼女の凛とした存在そのものが、「原節子」という像をスクリーンに結んでいたのだと思う。

 

偶然にも、今日スタンディングしているときに、隣に立っていたTさんと「生き方は顔に出るネ」という話をしていた。昔「ミス東大」だったというのが信じられない(ごめんなさい)ような自民党の某国会議員(学生時代の写真は本当に可愛いかった!)。知事から現在はやはり国会議員になっているOさんも、高校生の時はけっこう可愛らしかった・・・。

 

 

若い時から別に美しくも可愛くもなかったのだから、なおのこと気を付けなければ悲惨なことになってしまう。人の振り見て我が振り直せ、デスネ!

 

 

f:id:yonnbaba:20110301203355j:plain

生涯美猫だったオーガスト・・・って、そもそも動物は人間のように堕落しない。