よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

幸福を得難い時代だけれど

何気なく自分のブログの「記事一覧」を見てみたら、1週間ほど前に書いた「この国の貧しさ」というエントリのスターが「60」になっていた。100を超える方もいっぱいいらっしゃるので60くらいなんだと思われるかもしれないけれど、私のブログでは未だかつてスターを60いただいた記事はないのでは?と思いちょっと遡って調べたところ、やはり新記録だった。

そして、この作業の中で分かったのは、「社会のこと」カテゴリのちょっと硬めの記事にスターを多くいただいている傾向があるということだった。そもそもこのブログは離れて暮らす息子たちに「母は元気に暮らしているよ」と発信するため始めたもので、アフィリエイトも何も関係ない。身の程も知らずプライドばかり高く叱責されることに弱いので、あまり注目を集めることには恐怖感もある。

けれども、こうしてブログを書くからには、誰にも読んでもらえなかったら寂しいに違いない。また日々世間の多数派の指向と自分のそれとの間にギャップを感じることが多いだけに、少しでも自分の考えを世の中に伝えたいという気持ちもある。同じような考えの方たちと、ネットを通じて連帯していけたらとも思う。



そんな思いを抱きつつ向き合っているブログなので、今回発見した傾向は嬉しいことだった。出不精で家の中ばかりにいてもちっとも飽きない私だけれど、関心はどうしても社会に向かってしまい、自分さえ安穏に暮らせれば良いとは思えない。宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という言葉に強く共感する私は、理想の世界が不可能だとしても、せめて心が塞ぐ種は少しでも減らしたい。減らす努力をしている自分でありたい。お金も権力も持たない私にできることなど、ほんのちっぽけなことに過ぎないとしても・・・。


それにしても、賢治の時代の「世界」に比べ、現代の「世界」は何倍にも広く大きなものになってしまっているのではないだろうか。地球の裏側の事故や事件のニュースも、インターネットによって瞬時に知らされてしまう。紙の新聞やテレビと違って、インターネットではニュースの量にほとんど制約を受けない。知らないものはないのに等しいけれど、三猿のように目や耳を塞いで暮らさない限り、悩みの種はどんどん入って来てしまう。


つくづく現代の我々は大変な時代に生きていると思う。こんな状況では、賢治の言う個人の幸福を手に入れることなど絶対と言っていいほど無理だ。けれどもいっぽうで、遠く離れたところに暮らす人と1円もかけることなくこうしてブログで交流するなどという楽しみは、賢治の時代には考えられなかったこと。日々を丁寧に暮らし、小さな幸せを見つける巧者になる。胸を塞ぐ暗いニュースに押しつぶされずに生きるには、このスキルを身に付けることが肝要だ。



よんばばさんのスキを狙って、おいしいものを食べるとか・・・ね byドリーム