よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

戦火に燃える名古屋城

今朝なぜか普段見ない時間に何気なくテレビをつけると、NHK名古屋の戦後70年の催しのことを報じていて、会場で流しているアーカイブ映像として炎上する名古屋城が映っていた。戦火で燃えたという知識はあっても、実際に燃えているところを目にするのは初めてで、結構衝撃だった。


1週間ほど前に過激派組織ISがメソポタミアの遺跡を破壊している映像を見て、なんと野蛮で愚かなことを・・・と悲しいと同時に呆れる思いでそのニュースを見たのだけれど、ほんの70年前、アメリカも名古屋城を燃やしたのだ(そしてもちろん、日本もまた中国や東南アジアで同じことをした)と思った。


けれども、だからと言って今更アメリカに腹が立つでも憎くなるでもない。腹が立つとしたら、「そんなことしてないよ」とか「そっちが戦争をやめないから仕方なく・・・」などとしらばっくれたり責任転嫁の言い訳を聞くときだろう(原爆投下には、日本がなかなか降参しなかったからという側面は確かにあるのだけれど、それでもそういう言い方をされると卑怯な気がしてしまう)。それより、そうした愚かなことや残虐なことをさせてしまうのが戦争という異常事態なのだから、二度と戦争などすまい、意見の食い違うことは話し合いで折り合いをつけようと、改めてそうした思いを強くするばかりだ。


だから、わが日本の政府も被害を過小評価したり、まして都合の悪い事実をなかったことにしようなどとはしないほうが良い。謝るにも、日本的婉曲表現では正しく伝わらない恐れがあるので、誤解を避けるためにもきちんと潔く謝罪するべきだと思う。


それにしても、ISだからでもドイツ人だからでもアメリカ人だからでも日本人だからでもなく、「戦時」という異常事態のもとで人間が野蛮残虐極まりない獣と化してしまうということは明らかなのに、そうした忌むべき戦争に巻き込まれたがる、いえ、むしろ積極的に参加したがる安倍首相が、どうにも理解できないし、その政権が50%を超える支持率を維持しているというのも不思議でならない。




世の中がどんなでも季節は巡り、
今年もティータティータが咲きました