よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

この国の貧しさ

きなこさんが昨日のブログでフランスでの体験を引いて、ある人たちの仕事になるべきことが、日本では「金持ちのいきがい」として無償でなされてしまっているということを書いている。

「宝くじが当たったら仕事を辞める」→http://next-kinako.hatenablog.jp/entry/2015/03/10/214011

仰っていることに共感する。私もたんに本やアナウンスが好きということで興味を持ち音訳ボランティアを始めたとき、これほどのことが無償のボランティアによってなされることでこの国の福祉が成り立っているのはおかしいではないかと思った。

けれども、日本の福祉は「かわいそうな人(!)のための仕事に携わる人は奉仕の精神があって当然。だから給料に多くを求めたりしないのが当たり前」という感覚のお偉い方々に牛耳られている。


自分の経営する塾を持って移動することはできないため、故郷に戻ってイチから仕事を探さなければならなかったとき、どうせなら若いころからしたかった福祉の仕事をと思い、市のヘルパー募集に応募した。面接でえらい方が私に言った言葉は、「条件がいいから応募したんでしょうが、この仕事は奉仕の気持ちがないとできませんよ」というものだった。福祉分野での経験もなく、ひとり親家庭の母だった私は、給料が民間より多少良いということで希望していると思われてしまったのだ。もちろん不合格だった。

かつての夫がやはり青森にユーターンしてから福祉施設に勤めたので、民であれ官であれ、この国の福祉がそうした理念で運営されていることは知っていた。けれども、まさか面接でこうまではっきり公言してはばからないほどの「常識」だったことに驚いた。

その後幸いにも家のすぐ近くの民間の老人福祉施設が正職員を募集していることを知り応募、採用されて、結果的にはこちらの方が報酬は良かった(私より先輩である若い男の子たちは給与のことを嘆いていたので、二人の息子の養育者である私は優遇してくれたようだが)。結局罰当たりなことに、トップの方針が気に食わなくて1年ちょっとで辞めてしまったのだけれど。

私のいた老人施設にも多くのボランティアの方が来た。レクリエーションはともかくとして、繕い物のボランティアなどは本当に助かった。スタッフの手は常に足りないので、お年寄りの衣類が大型洗濯乾燥機の使用で傷みが激しいのに繕っている時間はなく、新しい衣類の補給のある方はいいが、あまりない方は傷んだまま使うしかなく気のどくだったから。



私も日本中でいったいどれほどの本来対価を払うべき仕事が、無償でなされているのだろうと考えたものだ。そして無償であるがために利用者の方たちは、遠慮しながらそのサービスを受けなければならない。文句も要望も思うように言えない。実際、音訳の分野でも、ポルノ本など特殊な分野について有料でしている会社もあった。この国ではかわいそうな人(!)はそういうもの(娯楽)を望んではいけないのだ。

そしてボランティアのメンバーの中にも、勉強会にもまるで出席せず、1冊の本を1年も2年も抱えたまま仕上げない人がいたことも事実だ。どうせ無償のボランティアなんだからいいでしょという甘えだ。それでも「私、音訳ボランティアしてます」と人には言う。




過去に私もたくさん憤ったことがあった。でも正直なところ、忘れていた。今朝きなこさんのブログを読んでそれらを思い出した。自分がいまは思うようにボランティア活動ができるようになったことが嬉しくて、何をしよう?次は何をしよう?とそのほうにばかり意識が行ってしまっていた。

でも、きなこさんが書いている通り、ボランティアを必要としているものは、本来しかるべき人がしかるべき報酬と引き換えになされた方がいいのだ。フィンランドの教育について調べた時にも感じたことだが、依然として日本は貧しい。これほど物質的に豊かになったようでも、それは本来もっと豊かになるべきものを犠牲にしたうえのことで、本質はやはり貧しいのだ。犠牲にしたのは、教育や福祉。もう少し人間的な住環境も求めてしかるべきかもしれない。安くて快適な公営住宅がたくさんあれば、これほどマイホームローンで苦しむ人が出なくていいはず・・・。


でもこうした問題は結局そういう政治をする政治家を私たち国民が選んできた結果で、改革していくためには、私たちひとりひとりが「あの先生には○○を作ってもらったから」とか「子供の就職でお世話になったから」とか「楽しい観劇会があるから」とかいった理由で投票しないことだ。真に地域のために働いてくれる人、何十年も先を見据えてこの国のために動いてくれる人を押し出し、投票することでしか社会は変えられない。

でもそれは時間のかかること。そして人間のすることである以上、どんなにいい政治、行政がなされるようになっても、理想の社会などちきりんさんではないけれどある訳ないのだから、必ず不備なところは出てくるだろう。不備がある限り、そしてそれが人の奉仕で補えることならば、時間的体力的に余裕のある人間がそれをするべきだと私は思う。



とにかく「選挙に行こうよ、投票行動で現状にイエス、ノーを表明しようよ」と言い続けながら、私は私にできる範囲で現在の不備を補う協力は続けようと思う。無料の奉仕だからレベルの低い仕事や活動でいいとは思わない。もちろん金持ちの自己満足であってはならない。私は金持ちのはじっこにも入れてもらえない、りっぱな?貧乏人で、ただ多くの人が旅行だ、美味しいものの食べ歩きだということを楽しみとするところが、ちょっと変わっていて社会の役に立つことが楽しいというに過ぎなくてするのだけれど、それでも決して自己満足で終わらないようにとは心がけたい。


自民党憲法草案を見直すとかいうニュースを先日聞いたけれど、どんな中身になるのかしっかり監視したい。少なくとも今公開されている草案では、今以上に一般国民にとっては生きにくい社会になることは明らかだ。日本人は、もっと国民一人一人がよい教育を受け、当たり前の穏やかな生活を送り、安心して年をとれる、真の豊かな社会を要求するべきだと思う。黙っていても「おかみがいいようにやってくれる」ことなど絶対にないのだから!




すっかり甘えんぼになって、私に抱かれて安心しきってウトウトするオーガスト
トントンするのをやめると文句を言う
私たちもこんなふうに安心して暮らしたい・・・