よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

家庭環境に恵まれない子の進学問題

数日前に秋桜さんが「児童養護施設の子の進学率が21%」というエントリを書いていらした。11日のY紙の記事に対する感想だ。

記事では18歳になって児童養護施設を退所した子供たちの進学率が、全国平均の三分の一にも満たないため、子供達が望む進路に進むことができるよう、周囲の大人が早い段階から支援していく必要があるという、関係NPOの代表の言葉で結んでいるという。

それに対して秋桜さんは、18歳になれば子を自立させ大学も自力で行くのが当たり前なアメリカの例を挙げ、本当に行きたければ手立てがないわけではないし、そもそも大学はそんなに何が何でもいかなければいけないものだろうかと仰っている。

私もこの意見に大いに頷いた。私の親は、「高校(滑り止めの私立もなし)も大学も公立であること、大学はきちんと行く目的があること」という条件を早い段階から公言していた。その影響で私も結構早くから(母子家庭になる以前から)子供達にそういうことを口にしていた。そのかいがあったのか、長男は学費免除の資格を取り、奨学金と家庭教師のアルバイトで車の費用から小遣いまでまかなってくれたので、私の負担はほとんどなかった。この正月に来たとき、ついに奨学金の返済が終わったと言っていた。本気で行きたいと思えば道は開けると思う。


バブルがはじけてから、大学を出ても必ずしも就職は簡単でなく、生涯賃金も学卒と高卒の差が少なくなって、大学卒業までの教育投資額が取り戻せなくなっているということは、以前ちきりんさんも書いていた。単に条件の良い就職のために必要と考えるのなら、もう大学より職人とか伝統工芸、文化などの世界を考えた方が良いかもしれない。



ユネスコ活動で「貧困のサイクルを断つために、書き損じはがきを集めて協力してください」と小学生にお願いしているが、これは小学校にも行けない貧しい国の子供のことである。日本でも近頃子供の貧困率が高まっていて、貧困のサイクルということが言われ出しているけれど、本当に小学校や中学校も行けない子供はそれほど多くはないだろう。親のネグレクトや暴力から救い出すことさえもっと真剣にやれば、義務教育は受けられるだろう。義務教育さえちゃんと身に付ければ、世の中は充分に渡っていける。なまじいい加減な高校、大学生活をしてへ理屈や中途半端なプライドを身に付けてしまわないだけ、前途は開けるかもしれない。職人の技を身に付けるにも、15歳という年齢は重要なのだ。

今までいくつか貧困を取り上げたNHKのスペシャルや、ニュース番組内の特集コーナーなども見たけれど、どうも貧困以前に親の生活能力の決定的な欠如を感じることが多かった。ああした環境で育てば、また同じような大人になってしまうだろう。学費の援助よりも収入に応じて暮らすにはどうすれば良いか、安くて健康的な食生活はどういうものか、といったことを教えることの方が必要だと感じた。


恵まれない環境にいる子供に「アラアラ可哀想に・・・」と言うことは簡単だし気持ちも良いが、それぞれの状況に応じて、本当に必要な援助は何かを見極め、時にはやみくもに大学に行くばかりがいい訳ではないと教えることも愛なのではないだろうか。