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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

いつまで足踏みしているの?

夫婦別姓の禁止は合憲」なのだそうだ。変えたくない人が強制されて、大変な苦痛を感じていたり、社会的に不利益をこうむっていたりしても、「憲法に違反していない」のだそうだ。

 

最高裁の大法廷、15人の裁判官のうち女性は3人!この3人はみんな「違憲」の判断だった。このことを他の男性裁判官たちはどう考えているのだろう。想像力や、人の立場に立って考えようとする気持ちに欠けるのではないか?よもや自分が被告となって法廷に立つようなことはあるまいと思うが、このような裁判官たちに裁かれるのかと思うと、とても不安だ。

 

夫婦は同姓であるべしと民法で定めた明治時代は、大半の女性は職業を持っていなかっただろうし、自動車の運転免許証ももちろん持っていないし、銀行口座も持っていない人がほとんどだっただろう。夫婦が離婚に至ることもうんと少なかっただろうし、万一そうなれば、姓が変わったりすること以上の大変な困難が女性を待ち受けていただろう。

 

仕事を持つ女性が旧姓を使い続ける社会習慣も定着してきているからというけれど、ならば仕事上の姓で、その仕事の報酬を受け取るための銀行口座が開けるというのか。

 

家族なのに姓がバラバラでは家族としての一体感が持てないと言う人がいるが、そういう人は別姓を選ばなければ良いだけの話だ。そもそもそのようなものに縋らなければ一体感を持てないような家庭は、早晩見かけはともかく、実体はバラバラになると思うけれど・・・。

 

「選択制」であるにもかかわらず、国会でもいっこうに夫婦別姓を認める立法は進まない。ならば、せめて姓を変えることに伴う事務作業(公的私的に関わらず)は、姓が変わらないほう(たいていの場合男性)の当事者が行うこと、という法律を作ってくれないだろうか。そういう社会で十年二十年と過ごしてみれば、さしものおつむの堅いおじ様おじい様方も、精神的苦痛は別にして、物理的煩わしさだけでも実感していただけることだろう。

 

 

私が若い頃は、まだ「二十代前半で結婚して家庭に入る(専業主婦になる)」というのが、女性の生き方の王道モデルとして君臨していた。愚かな私は、なんとしても22、3歳までには結婚したいと願い、そして苗字が変わることに憧れを抱いていた。けれども、そもそも姓が変わることに憧れるような薄っぺらな結婚観しか持ち合わせなかったからダメだったのだと今になれば思う。

 

 

もちろん、お互いがきちんと考えた末にやはり夫婦同姓にと思うカップルは同姓にすればよいが、そう思えない人が自分の姓を名乗り続ける権利を、もうそろそろ認めてもいいのではないか。現実的には今まで通り男性の姓を名乗るケースが圧倒的に多いだろうし、別姓の家庭ができたとしても、他の人にそれほど多大な迷惑を及ぼすとも思えないのだけれど・・・。

 

 

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十数年前、遊びに来たひ孫と語らう母。母にとって私やひ孫は姓が違うけれど、しっかり「家族」だったと思う。私がもし再婚していれば3人バラバラな姓だった訳だが、それで家族の情が湧かないとは思えない。