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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ハンドベルの練習

いよいよハンドベルの練習が始まった。教えてくださる方の都合で午後3時から。参加者が多くてハンドベルが足りないようなら、私は見学でも応援でもいいからとにかく行こう、と出かけた。

 

ウオーキングを兼ねて電車を使わず歩いて行こうと1時間前には家を出たので、開始時刻の15分ほど前には駅前に着き、一番乗りだった。しばらく待っていると”言いだしっぺ”が表われ、やがて指導してくださる方と、あと2人の女性メンバーがやって来たけれど、もう他には現れない。

 

先生を除くと4人なので、1人がベルを2つずつ持ってちょうど1オクターブ分だ。先生の書いて来てくれたカタカナ表示の音階の表を見ながら練習を始める。そのうちもう1人だけ女性メンバーが到着し、リズム取りを担当してもらう。

 

何回か繰り返すうちなんとかメロディラインだけはできるようになるが、和音を付けようとすると途端に難しくなる。メロディーの部分を横に追っていると、下に書かれた和音の部分の自分の音を見落としてしまう。和音の方を気にしているとメロディーを間違う。やはりメンバーが大勢いて、分担して演奏した方が良さそうだ。いつも同じメンバーが参加できるとは限らないので、誰がどの音を担当してもできるくらい簡単な方がいいだろうし。

 

みんななかなか思うようにはいかないのだけれど、結構楽しいことも楽しくて夢中になって練習していた。すると赤ちゃんを抱っこして4歳くらいの女の子を連れたお母さんが、「この子にもさせてもらえますか」と声を掛けていらした。どうぞどうぞと女の子にハンドベルを渡し、お母さんも一緒にどうぞと加わってもらう。私が女の子の手を取って応援。一緒に『ジングルベル』を演奏すると、女の子は嬉しそうにニッコリ。

 

以前何かのコンサートの折りにハンドベルを体験するという企画があって、そのときに一度やったので、お子さんが通りがかりに見かけた私たちの練習風景に興味を持ったのだそうだ。お陰で私たちも楽しい体験ができた。これからの練習も、そして本番の時もこんな風に飛び入りの方も参加して一緒に演奏できたら楽しくていいなと思う。

 

帰りの電車の中でメンバーの一人が「きっと本格的にやっているグループだったら声を掛けにくかっただろうけど、私たちのたどたどしい練習ぶりだったから、入れてもらえるかなと思ったんだよね」と言った。なるほど確かにそうだ。それにしても、あんな風にものおじしないで知らない人の中に入って行けるお母さんに育てられるお子さんたちは、きっと幸せに違いない。

 

ハンドベルの練習の後スタンディング。ベルの指導をしてくれた方は用事があってすぐ帰ったので、スタンディングは5人。平日の4時過ぎとあって通行人も少なく寂しいスタンディングだったけれど、数名の署名(戦争法の廃止を求める2000万人署名)もいただくことができた。これは帽子とプラカードに電飾をつけ、精力的に道行く人に声掛けをするIさんの熱意のたまものだ。

 

 

それにしても、ハンドベルの練習の参加者がこれほど少ないとは驚きだった。遠慮して応援・・・どころか、危うく人数が足りなくなるところだった。私は例によって考えもせず走ってみるたちだから、「ハンドベル?面白そう・・・」とまずは好奇心で迷わず参加した。昼間の時間帯だが、メンバーは年金暮らしであろう高齢者が多いのだから、仕事で来られないということはあまりないと思う。やはり楽器の演奏ということで、躊躇があるのだろうか。明日は何人集まるだろう。このままでは集会でのハンドベル演奏の実現は危うくなってしまう。

 

新しいことを始めると若返ると言うし、何事も見てるだけよりやってみるほうが面白いと思う。ハンドベルを練習する人よ来たれ!

 

 

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こんな風にできたらね・・・。

私たちの場合、この子たちの50年後、60年後(70年後かも)ということになりますが。

(写真はYahoo画像サイトからお借りしました)