NHKへの抗議のデモのニュースが、ついに新聞記事になったようだ。
8月の初めころにもあったのだけれど、そのときは新聞にもテレビにも抹殺されてしまったと思う。集まった人数も増えているが、やはり近頃の、政府やマスコミといった権威に対する市民の抗議行動が、無視できないレベルになって来ていることの証明とも思われる。
ということで、久しぶりにサイレントスタンディングへ。台風やら自身の体力不足やらで3日も続けて休んでしまった。だから今日はユネスコのミーティングもあったのだけれど、帰宅して猫たちに夕飯をやって、急いで自分も夕飯を食べてすぐまた豊橋駅前に出かけた。
今日も非常に寂しい参加で15名ほど。
終わってからギターの弾き語りをしてくださっている方とちょっとおしゃべり。その方が「長野の阿智村では、この抗議活動がとても盛り上がっているようですね」と仰った。「それに比べると、豊橋は市の規模からすればもっと参加者がいてもいいのに、ちょっと情けないですよね」と私が言うと、その方は「今すぐの活動の成果にはならなくても、ずっと先に『そう言えばあの時、お年寄りたちが駅前でなんかやってたなあ』と若い人たちが思い出してくれて、その先の行動に繋がっていくかも知れない。その種まきみたいなものと思ってやればいいんじゃないかな」というようなことを仰った。
私はコツンと頭をひとつたたかれた気がした。またしてもひとつ、気付かせていただいた。短気な私はすぐ情けないとかケシカランとか思ってしまうけれど、この方のこの穏やかな考え方!お顔もそれは穏やかな優しそうな顔をしていらっしゃる(ついでにお声もソフトで素敵)。私はやっぱり、きっと、キツイ顔をしていることだろう。
その方がスタンディングで良く歌われる曲、『一人の手』(ピート・シーガー)の一節。
ひとりの小さな声 なにも言えないけど
それでも皆の声が 集まれば
何か言える 何か言える
ひとりの人間は とても弱いけれど
それでも皆が皆が 集まれば
強くなれる 強くなれる
この精神が大切ですね。
Yahoo画像より
なになに? 集まれば? なんかいいこと・・・?