よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

「渥美半島と戦争」展を見る。知る、そして忘れない。

先日23日は猫たちの誕生日でもあり、安保法案に反対する全国一斉の行動日でもあったのだけれど、じつはさらに、ユネスコの仲間と「渥美半島と戦争」展を見に、田原市博物館にも出かけたのだった。重なる日は重なる。

 

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右側の6階建ての建造物は伊良湖射場の「気象塔兼展望塔」。四方が開けていて弾の飛んでいく様子が観察しやすいというので選ばれ、陸軍が使用する大砲や弾薬はここでテストした後に実戦配備されたそうだ。

 

左下の人形は、昭和2年にアメリカから日本の子供たちに贈られた「青い目の人形」。戦争によって、十数年ののち、この罪のない人形まで憎まれて多くは処分されてしまった。周辺にいた人の個人的な努力で隠され、運よく戦争を潜り抜けたものだけが今に伝えられる。

 

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結構びっくりしたのは、右上の写真にあるような衣類や帽子だ。「子供用?」と思ってしまうほど小さい。たまたま保管していた方が小柄だったのかも知れないが、15年戦争とも言われるくらい長い戦争状態で、終戦前後ほどではないにしても、おそらく長いこと食糧事情は良くなくて、体格も貧弱な人が多かったのではないかと想像する。こんな小さな服がちょうど良いような人が、体格でも数でも装備でも圧倒するアメリカ軍と戦ったのかと思うと、いじらしく気の毒な思いもひとしお。

 

 

今年は戦後70年という節目の年であることと、安保法案でこれまでになく戦争が人々にとって身近な問題になっていることも相まってか、すっかり戦争特番など忘れ去られたふうだったテレビ界でも、非常に多くの戦争関連の番組が見られた。

 

私はその他にもユネスコ経由でいろいろなDVDなども見たし本も読んだので、もう体の8割方が戦争関連の情報で詰まってます、というくらいの気分だ。でも8月が終わればきっとガクッとこうしたテレビ番組は減るだろうし、来年以降はまた元の木阿弥かもしれない。日々目にしなければ、忘れる力だけはすこぶる強力になって来ている近頃の私ゆえ、8割が3割、2割になってしまうかもしれない。上書き更新していかなければいけない。

 

私が日々利用している渥美線が、終戦前日の8月14日に機銃掃射を受け、動員学徒6人を含む15人が死亡、16人が負傷したそうだ。すぐ翌日終戦となってしまったこともあり、このことは長く地元でもあまり知られないまま忘れ去られようとしていた。ところが、平成25年の三河田原駅開業90年の史誌編纂の過程で、戦時中の思い出話ということである婦人からこのことが聞き取られ、その後市民グループ「豊川流域研究会」によって調査され明らかになったそうだ。

 

 

自分たちのしたこと、されたことをきちんと知る。戦争のあと70年たって生まれようと100年たって生まれようと、都合の悪いことも含めて事実を知ることは大切だ。そのうえで謝罪の気持ちを抱くかどうかは、人によって違う。強制されてするものでもないし、(どなたかのように)形だけしても意味がない。

 

 

祈りの月8月も間もなく終わるけれど、これからも、周りの人が忘れない。戦争で亡くなった方も、理不尽な事件の被害者として亡くなった方も、残された人々が忘れないことが何よりの供養だろう。