よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

豊橋公園戦争遺跡巡りの出前授業

今年度最初の出前授業を行った。新学期になるとすぐお申し込みをいただいていた学校だ。「豊橋公園の一番近くにある学校なのだし、ぜひそうしたものを知っておきたい」ということだった。

 

天候が怪しい場合は学校側で実施するかどうかを決め朝連絡をいただくことにしていたが、全く心配の必要のない好天に恵まれた。

 

どこの地方都市にも見られる傾向かと思うが、当市もいまや中心市街地は高齢化が激しく、中心部の学校は児童数が減少している。今日の学校の6年生はひとクラス29人。学校は公園から徒歩5分くらいの近さということもあり、開始時刻の20分前には全員が到着という、今までにはなかった展開となった。

 

おかげでいつもは時間不足気味の遺跡めぐりが、今日は少しゆったり行えた。通常10人かそれ以上になることもあるひと班の人数も、今日は7、8人と少ないので移動の時のまとまりも良い。やはり生徒の数が少ないということは教育の場では圧倒的な質向上のための要素だと感じる。

 

歩兵第十八連隊の新旧の正門、哨舎、灰捨て場、馬頭観世音、軽油庫、軍人記念碑など、9か所を説明しながら回る。今日はちょうど青年部の大学生が4人参加してくれて各班に一人いるので、若い彼らに説明を任せようとしたのだけれど、どうしても言葉が足りない場面が多く、横から口を挟んでしまった。戦争が遥か遠くなってしまった世代に、なるべく誤解させないようにしたいと思う。

 

私が子供の頃はまだ日常に戦争の影がいっぱいあった。テレビでは悲劇から喜劇まで兵営での厳しい生活を題材にしたものがしょっちゅう放送されていたし、駅前に行けば傷痍軍人がアコーディオンを弾いていた。周囲の大人の口から戦争の話を聞く機会も多かった。だから子供といえどもある程度戦争のイメージがつかめていたけれど、現代の子供にはそうしたことはとうてい分かる訳がない。いまニュースで報じる闘いの映像は、遠くでボタンを押しピンポイントで目標を爆破しているもので、第二次大戦時に兵隊たちの置かれた状況とはまるで違う。

 

あってはならないことだけれど、もし今後戦争に巻き込まれたりしたら、その時の戦争の形はさらにまた変化していることだろう。でも戦争の根本は変わらない。人が人を殺すこと。ハイテク化で悲惨さを隠しても、末端のところでは必ず建物が破壊され血を流して人が死んでいる。その悲惨さを少しでも伝えたいと思う。どの道を選ぶのかは子供たち自身が決めることだけれど、考える材料を示したい。

 

でも、今の子供たちは自分たちで道を選べるのだろうか。その前に私たち大人が引き返せない道を選んでしまったら・・・。

 

私はこの70年の平和が良かったと思うし、このまま次世代に渡したいと思う。私自身の日常は今の憲法で何ら困ることはない。どっちみち今の時代、圧倒的な悪意を持って破壊しようとして来る者を防ぐ手立てなどないと思うから、なるべく敵を少なくすることが一番現実的な生き残り策だと思っている。

 

改憲か否か、集団的自衛権是か非か、難しい議論になると正直私は分からない。この間ユネスコの仲間にも言って笑われたけれど、難しくて判断に迷ったら顔で決める。憲法学者改憲賛成派と反対派。私には反対派の方たちのお顔の方が上品に見える。

 

先日のペシャワール会の中村医師の講演の折、会場の外でがなっていた人たちの顔は見なかったけれど、人の迷惑顧みず音の暴力を振りまく下品さに対し、ユーモアで穏やかにからかっていらっしゃる中村医師の上品さ、私にとってどちらにつくべきかは明らかだった。

 

 

今日の私たち豊橋ユネスコ協会の出前授業を受けて、この夏休みに戦争のことをもう少し調べてみようなんて思ってくれる子が、一人でも二人でもいたら嬉しい。「知らされない」情報を知ろうとする人が育ち、必要な情報を得て自分の頭で考えて、それでも分からなかったら自分の美意識で美しいと思う方を選んで、生きる甲斐のある道を歩む人が育ってほしいと願う。

 

 

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公園内の遺跡をめぐったあと、班ごとに話し合い。