よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

小学校の運動会、母を思い出す

午後、用事があって家を出ると、隣の小学校の校庭ではテントがいっぱい張られ、運動会の競技の真っ最中だった。このところ練習に熱が入っているなと思っていたけれど、今日が本番だったのか。

 

歩きながら、ああ、去年の運動会には車いすの母を連れて来たのだった・・・と思い出した。

yonnbaba.hatenablog.com

スポーツが好きだった母には、やはりスポーツに絡む思い出が多い。我が家で暮らすようになった80代半ばのころも、プロ野球のナイター中継が始まると、必ず中日の試合を見ていた。

 

孫たちが野球少年だった時には、試合には欠かさず応援に行っていたようだ。うちの息子たちも小学校時代は野球をしていたが、舅姑が試合の応援に来たことはなかった。もっとも、仲良しで楽しい部活ではあれど出ると負けの弱いチームで、おちおち応援している暇もなかったのではあるが。

 

と、ここまで書いたところで『ブラタモリ』が始まってしまい見ていた。タモリさんは雨男なのだろうか。4月にスタートして以来、傘をさしていないロケの方が少ないように思う。でも悪天候の中、タモリさんは実に楽しそう。レール好き、通信大好き(子供の頃になりたかったのが船舶通信士だそう)!で超マニアックな話で盛り上がる。桑子アナ置いてきぼり。

 

私は懐かしい青函連絡船や昔の青森駅の映像に目を奪われ、函館駅のポイントの雪を取り除く設備の説明で、思いがけなく「弘前市役所」とか「八甲田の雪」が登場してなんだか嬉しかった。

 

タモリさんは少々常人と違うポイントで面白がるところが見ている側にとって面白い所なのだけれど、誰しも多かれ少なかれ、思わずスイッチが入ってしまうところがあるのかも知れない。母の場合はそれがスポーツとお洒落だった。お洒落が最後に残る部分かと思っていたけれど、最後の数年はついに興味を失ってしまった。

 

それに対してスポーツの方は、亡くなる半年前にまだ小学校の運動会を楽しむ心を持っていた・・・。もしかするとお洒落への関心は、父と出会ったことによって開花したものかもしれない。スポーツ少女の方は根っからのものだったのだろう。

 

私は何が残るのだろうか。今更ながら、なあんにもないなあと我ながら呆れる。これだけはないと・・・と思うものは、やっぱり「人と繋がっていること」だろうか。一人でも平気だけれど、人と繋がり社会と繋がっていないと、私は「生きている」と感じられないかな?でも、もし認知症が進んでしまったらどうなのだろう???

 

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農家の9人兄弟の末っ子で、年のいっている親を助けて働き者だったとよく自慢していた。女学校を終わるまできっと地味に暮らしていただろう母。

父と結婚してこんなファッションで写真を撮られる経験をして、お洒落に目覚めた?