よんばば つれづれ

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助詞の一文字で見違える短歌 

大分前から、ユネスコの先輩の方に短歌の会に誘われていた。言葉にはとても興味があるけれど、悲しいことに私にはクリエイティブな才能がまるでない。これまで色々なことに挑戦してつくづくそれを痛感したので、創造的な分野のことには手を出さないことにしていると、ずっと断り続けていた。

 

それでもあまり熱心に言ってくださるため、根負けして今年から参加している。才能はないし、飽きっぽい私のことだから続かないかもしれないと思い今まで触れなかった。でも、なんとか5か月過ぎた。そして、作ることは別として、やはり日本語を操る歌の世界は面白い。

 

先生は80代も半ばの方で耳も少々遠くなっていらして、隣席のベテラン会員が時々補佐する場面もあるけれど、毎回のように言葉の感覚の鋭さに敬服する。

 

他の方の作品で了解を得ていないため歌全部をのせる訳に行かず、うまく雰囲気が伝わらないかもしれないが、

 

はなやかな桜ちりくる・・・   というのを、

はなやかに桜ちりくる・・・   と「な」を「に」にすることで歌の表情がサッと変わる。

 

・・・ゆったり動くテレビの中で  というのを、

・・・ゆったり動くテレビの中を  と歌の最後の助詞の一文字である「で」を「を」に替えることで歌の雰囲気や余韻が一変してしまう。 

 

 

日本語の「助詞」に相当するものがどれくらいの言語に存在するのだろう。あまり多くはないような気がする。日本語でも、だんだん省かれていくのだろうなという気がする。とても残念だけれど。

 

近頃はNHKのニュースの字幕でもしばしば助詞を抜いた表現が見られ、時数の制限があるのでやむを得ないかと思うときもあるが、まだスペースが余っているにもかかわらず抜いているときもよく目にするので、そもそも助詞にたいして注意を払っていないのかもしれない。だから、平気で「たくさんの品物が売っています」などという原稿を書いてしまい、何の抵抗もなく読んでしまい、誰も疑問を持たずOKを出してしまうのだろう。

 

Yahooのトップ画面に出ているニュースの見出しでも、助詞抜きは日常茶飯で、抜かずに付いていても、「話題の新商品が発売」などという表現が普通になってしまった。これなら「話題の新商品、発売」と読点で済ませたほうがいいくらいだ。

 

創造的な力を持ち合わせない私が、いつまで作品を作り続けられるかは非常に心もとないけれど、日本語の奥深さに触れられる短歌の集まりは楽しいし、脳にも良い刺激になると思うので、なんとか長く続けていきたいものだと思う。

 

自分から何が何でもこれをやりたいと思うもののない私だけれど、こうして周囲の方が誘ってくださって、さまざまな方向に目が開かれていくのはありがたいことだ。これから先にもどんな出会いや出合いが待っているのだろうかと思うとなんだかワクワクする。

 

 

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花咲きぬ 木の芽は伸びぬ 

   たれもいぬ 避難区域で 捨て置かるるも

 

恥ずかしながら・・・

ニュースで人っ子ひとりいない中でも見事に咲いていた福島の桜を見て、自然の強さとともに哀れさを思い、読んだ。「木の芽」のお題で。

 

写真は福島の桜ではありません。