よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

鯉のぼり消失事件

皐月の空に悠然と泳ぐ鯉のぼりが好きだ。まさしく腹蔵のない、アッケラカンとした爽やかさに好感が持てる。けれども寂しいことに、近年はテレビ画面の中で見るばかりで、現実の住宅街の中で青空に翻る鯉のぼりを見ることはなくなってしまった。

 

 

長男が生まれた時、ささやかではあったが一応庭のある借家住まいだったので、鯉のぼりを立てることもできたのだけれど、実家から送られてきたのは兜飾りだった。私が希望したのだったかもしれない。普通は武者飾りと鯉のぼりの両方を嫁の実家が贈るものなのかもしれないが、親子の縁も切れるかというほどの反対を押し切って結婚したのだから贅沢は言えない。兜飾りだけでもくれたのはやはり孫に罪はないと思ったからだろう。

 

当時はまだ近所の男の子のいる家では結構鯉のぼりを上げていた。団地サイズなどと称して、窓やベランダのフェンスのところでも立てられるような小さな鯉のぼりも人気が出てきていた。でもなぜか私たち夫婦は鯉のぼりを買おうともしなかった。若気の至りで、当時の私は何につけしきたりや風習に逆らっていたので、必要ないと思ったのだろうか。

 

その後夫のUターンで青森に転居し義父母と同居するようになった。過去にも書いたことがあるけれど、婚家は鎌倉時代から続く(夫は20代目だった)旧家の大本家とやらで、舅も姑もそれはそれは気位の高い人たちだった。

 

愚かな私は対抗心で、引っ越してから最初の5月を迎える前に、実家にお金を送って、両親からということにして大きな鯉のぼりを送ってもらった。そうして分かった。世話が大変なのだ。その頃婚家では家族が食べる程度の僅かな水田を作っていただけで、舅はまだ50代ながらほとんど遊んでいるような状態だったので、毎日鯉のぼりを上げたり下ろしたり、風の強い日は日中でも片付けたり・・・と、全てやってくれた。勤めのある夫頼みなら休みの日しか上げられなかっただろう。

 

核家族で、しかも夫婦ともに仕事を持っていたりしたら、とても鯉のぼりの面倒まで見ていられない。だいいち、おじいちゃんがいて鯉のぼりを上げてくれたとしても、それを眺めて喜ぶ肝心な子供が、保育園に行ってしまって家にはいないかもしれないのだ。

 

かくして、5月の空から鯉のぼりが消えてしまったのだろう。寂しいけれど生活スタイルが変わってしまったのだ。

 

消えたと言えば、祝日に国旗を掲げる家もほとんど見かけなくなった。祝日の朝、しまってあった国旗を取り出し、竿の先に金色の玉を取り付け旗の布きれを括り付けて門口に掲揚するのは父の仕事だった。それから、日曜日ごとに踏み台に乗って柱時計のネジを巻くのも父の仕事だった。家庭からそういう父親の仕事が消えるとともに、家長たる権威も消えていったのかも知れない。

 

便利になることは味気なくなること。合理化することは風情を失うこと。そして私たちは便利さや合理性の方を取って来た。でも代わりにどんな面白さや楽しさを手に入れたというのだろうか・・・。

 

各家庭の鯉のぼりは消えたけれど、それぞれの家で、子供たちは楽しい「こどもの日」が過ごせただろうか。

 

 

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お父さんっ子でした。