よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

大型連休後半に思う、「飛び石連休」

今日から大型連休の後半だとニュースがかまびすしい。

 

私が小さかったころは、よく「飛び石連休」と言って騒いだ。当時はもちろん振替休日もなければ、国民の祝日に挟まれた日は国民の休日とする、などという法律もなかったから、5月の3日と4日と5日が三連休になることはめったになかった。土曜、日曜の週休二日という職種もなかったのだ。私の父は土曜日が半ドン(この言葉も今やほとんど死語?)の官庁に勤めていたので、結構人に羨ましがられていたくらいだ。

 

そんな訳で、休みが繋がるより飛び石的に休みとなることの方が圧倒的に多かった。それから「黄金週間」という文字を新聞などで目にするようになり、やがて「ゴールデンウィーク」がすっかり支配的になった。

  

それにしても、半世紀以上の時が経ったというのに、相変わらず「ゴールデンウィーク」と盆正月の休みで大騒ぎしているのは、なんとも悲しい。夏の長期バカンスもなければ、当然の権利であるはずの有給休暇さえ十分消化できない勤労者が多い。

 

 

音訳ボランティアをしていたとき、月に一回勉強会があった。平日の昼間なので私は有休を使って参加していた。毎月出席しても年12回、十分有休は足りるはずだった。幸い私は一人で経理の仕事をしていたので、自分で段取り良く仕事を処理すれば、ほとんど他の人に迷惑をかけることもなかった。

 

けれども、大半の社員が家族の法事や病気でない限り有休を使わないので、私の消化率だけが突出してしまい、取りにくくなってしまった。会社としてもあまり有休の消化率が低いのは問題なので取得するよう勧めはするのだけれど、みな仕事が回らないのか一向に改善せず、そうした状況の中で自分ばかり休んでいるのはどうなのかと上から言われ、休めなくなった。そうして私は音訳活動を止めた(年何回以上勉強会に出席のことというきまりがあった)。

 

大企業なら有給休暇はじめ様々な勤労者の権利を利用できるかもしれないが、まだまだ日本の企業の大半を占める中小の職場では、とても思うように休暇を利用することすらできない。だからこそ盆正月だゴールデンウィークだと大騒ぎする。

 

労働組合は長い間賃上げの闘争を熱心にしてきたけれども、それと同時に勤労者が家庭で人間らしくゆっくり過ごす時間も要求するべきだった。父親だって子育てに関わりたい、子供と接する時間を持ちたいと要求するべきだった。家に帰ればもう子供は寝ていて、家を出る時にはまだ目覚めていない。子供が父親と顔を合わすのは週末だけなんておかしい、と主張するべきだった。

 

いまアベノミクス成功と言うために、政府まで企業に賃上げをさせるのに躍起になっているけれど、もういいかげんお金を欲しがるより人生をゆっくり楽しむ権利を主張したらどうだろう。どこに行っても混雑する「大型連休」に、お金を使ってヘトヘトになる情けない休暇ではなく、一か月のバカンスは無理としても、せめてそれぞれが好きな時に有給休暇が気兼ねなく取得できるのが当たり前の社会にできないだろうか。

 

 

この50年で世の中は想像もできなったほどに大きく変わった面がある一方で、精神的な豊かさにつながる大切な部分が恐ろしいほどなおざりにされてきたように思う。もうそろそろこの程度の情けない休みを「大型連休」などと呼んで大騒ぎするのはやめにしたい。私自身はもう年中日曜、万年大型連休の身であるけれど・・・。

 

 

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あたしはレンキュウはいいので、ゴアンください!

おちゃわんに残ってるこれじゃなく、もっとオイシイノ!!!