よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

さよならキンキン

キンキンと聞くと、反射的に浮かぶのは「キンキンケンケンのごはんよ、ふーふーわんわん」というフレーズ。リクエスト曲を頼むためにかける電話番号の語呂合わせだ。

 

「榎さんのお昼だよ~」という番組があって、キンキンケンケンで、「久米宏の、東京の街ここはどこでしょう」なんていうコーナーが続いていた記憶がある。TBSのラジオ番組。

 

昭和49年、当時私は新米お母さんだった。親の反対を押し切って結婚したので、意地を張って里帰り出産をしなかった私は、初めての頼りなげな赤ちゃんを抱いて、嬉しさとともにかなりの重さの不安も抱えていた。

 

何をしても赤ちゃんが泣き止まなくて、一緒に泣き出したい時もあった。やっと寝かしつけてほっとしていると、玄関チャイムとか電話のベルとか、もっとささいな音でも再び泣き出してしまうため、小さな家の中で私はそうっとそうっと家事をした。

 

そんな日々を送っていた私に、ある先輩お母さんが、「商売屋さんの赤ちゃんなどいつもうるさい環境の子は、少々の音がしても平気。お母さんひとりであまり静かな環境だからかえってちょっとした音でも驚いちゃうのよ。もっと神経太くしなさい」という言葉を下さった。

 

その助言に従って常に賑やかな環境を作るため、初めはテレビをつけてみた。けれどもテレビは耳だけでなく目も引きつけられてしまうため、用事がはかどらない。そこでそれまであまり縁のなかったラジオをつけ放しにすることにしたのだ。

 

かくして私のラジオライフが始まり、確かに常時音がしている方が赤ちゃんは穏やかに寝ることが多かった。赤ちゃんを通してご近所さんと親しくなり、先輩お母さんたちに精神的にも物理的にもとても助けてもらえるようになって、私自身が最初の頃のようにドキドキ神経質になることが少なくなったことも良かったのかも知れない。

 

 

こんな訳で、キンキンは私の新米お母さんの時期と強く繋がっている。その頃の私の心細い気持ちの中に、キンキンのリスナーに軽妙に話しかける声が、一番沁みこんだように思う。だんだん大らかに育児に取り組めるようになって、いつの間にかラジオは聞かなくなってしまった。

 

 

キンキンのラジオで子育てを助けられたその少しあと、現在の奥様のケロンパさんの『ロンパールーム』にもしばらく育児協力してもらった。「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」。

 

 

 

その後キンキンはテレビで大いに活躍するようになったけれど、テレビではあまり見ていない。少し前にキンキンが司会する番組がギネス記録を作ったとか、この春その長寿番組を彼が降りたとか、Yahooのニューストピックで名前を目にする程度だった。

 

今日そのキンキンこと愛川欣也さんの訃報を目にして、なつかしい時代がよみがえった。残された奥様は寂しいだろうけれど、キンキンご本人は、最後のギリギリまで自分の司会する長寿番組を務めて、自宅で愛する伴侶に看取られて、お幸せな人生だったろうなと思う。楽しい時間をいただいたことに感謝し、ご冥福をお祈りする。