よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

2014年にお別れ

今週のお題「2014年のお別れ」(2014年をふりかえる 最終回)

2014年もあと2時間だ。

息子一家が、今回は先に嫁の実家に行き、我が家は明日からなので一人の年越し。

先週金曜日で報道番組もほとんど通常の放送を終え、テレビはもっぱらやたらと賑やかな特番ばかり。

見るものがない。


子供の頃は待っても待ってもお正月はなかなか来なかった。

それが今では1年に何回も来るような気がする。

テレビを見ても買い物に行っても、これでもかこれでもかと商魂たくましくさまざまな物を売りつけて来る。

お正月のしきたりだの、縁起ものだの、古来年長者から教えられたり親から子へと伝えられたであろうことが、今はみんな知らないだろうと、コマーシャリズムが教えてくれる。

いわく、これこれを揃えよ、それやらあれやらを食べなさいと・・・。


年をとるほどに日本の良さも感じるようになったし、四季折りおり季節の行事を楽しむ情緒は好きだ。

お正月はその最たるものだろうし、大切にしたい。

でもちょっと前には「ハロウィン!」

しばらくすると「メリークリスマス!!!」とやっていたお店で、雅楽を流し急に日本的になって、古式ゆかしく伝統の飾りやら食べ物やら、ちゃんといたしましょう!とやられると、へそ曲がりの私はだんだん嫌気がさしてくる。


お正月。

昨日と同じはずなのになぜか空気までが新しいようで晴れがましい気がしたお正月。

普段忙しそうにしている親が、夜っぴいて一緒にかるたやすごろくトランプなどをして遊んでくれた。

いろんなひとがおめかしして年始のあいさつに来て、子供達はめったに持てない大金(と言ったって大した金額ではなかったが)を持って近所の駄菓子屋さんに集まり、普段買えないチョコレートを買ったり、くじを何回も引いたり、ほんとうに特、特、特別の日だった。



私の子供の頃を思えば、今は1年中がお正月のように贅沢で賑やかだ。

豊かになったのだろうけれど、代わりにめりはりも感激も失ってしまった。

何かを得れば、何かを手放さなければならないのだろう。


いよいよ2014年が終わる。

この国が、心配な方向へと舵を切った年。

のちに歴史の中で、そのような年として記されなければ良いけれど・・・。