よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『真実の「わだつみ」』学徒兵木村久夫の二通の遺書

8月にnumapyさんがブログで紹介していらした。新聞の書評欄などでも紹介され、図書館では順番待ちだった。

木村久夫さんは京都大学(当時は京都帝国大学)の学生の時に応召、結核で一時陸軍病院に入院するも、半年余で退院しインド洋のカーコニバル島に配属される。幾度かの死を覚悟するような激戦もかいくぐって生きて終戦を迎えながら、職務で担当した現地人捕虜の尋問が拷問であり、何人もを死に至らしめたということで死刑になった。彼は英語や現地語が堪能だからと上からの命を受け、ただ忠実に従っただけなのに。

この木村さんの遺書は「きけ わだつみのこえ」にも収録されていて、他の文章が戦死した学徒のものであるのに対し、木村さんはひとり「戦後」を見た(帰国することなく現地で処刑されているので、正確には”感じた”)こともあり、ひときわ異彩を放っている。けれども木村さんの遺書は実は2通あって、「わだつみ・・・」に掲載されたものはその2通を合わせ、編集を施されたものだったという。

今年東京新聞のスクープでこの事実が明らかになり、初めてその2通の遺書の全文と短歌、「わだつみ・・・」で削られた部分などがこの1冊の本にまとめられた。


「わだつみ・・・」の出版は1949年、敗戦から4年しかたっていない。削られた部分の文章を読むと、改めてその1949年という時期の世の中を思わずにはいられない。13箇所挙げられているのだけれど、すべて痛烈な軍人、軍部批判の内容ばかりだ。

木村さんのように、上層部から命令されて実行した人たちが処刑されて、本当に責任のあるお偉い方々は戦後ものうのうと生き延び、そればかりか依然として世の中の中枢に居座り続けてさえいたのだから、真実の声がそのまま流布されては、さぞまずかったことだろう。



A級戦犯であった人が戦後のこの国で首相になり、今またその孫が首相となり平和憲法を変えようとしていることを泉下の木村さんが知ったら、自分の死が無駄だったと悔しがられるのではないだろうか。

しかし、愚かな軍部に引っ張られて戦争に突き進んでしまったのは、結局それを許してしまった国民がいけなかったのだということも、木村さんは鋭く指摘している。それと同じく、あのような首相をいただき、戦後70年たった世の中をこのように平和ボケの危険な状態にしていることは、私達国民の責任なのだ。

今朝も安倍内閣の支持率が51パーセントに上昇したという記事を見た。その支持する人たちに、この本を読んでもらいたいと思うが、おそらくそのような人々は読もうとはしないだろう。