よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

そこ、ここに、思い出が・・・

今日は宅配の荷物の多い日だった。

まず、お正月用に自分で注文しておいた食品が届いた。

そのあとも、青森の友人やら息子の家からやら3度もチャイムが鳴った。

その都度大慌てで膝の猫を「ちょっとごめんね」とどかして、ひざ掛けをとって玄関に飛び出した。

電話でもいいのだけれど、なんとなく、買い置きしている絵葉書でお礼の手紙を書いた。

3枚の葉書を持って郵便局まで歩いた。


途中のコンビニの前にポストがあるけれど、郵便局のカウンターに作り付けられている投函口に入れると、相手に到着するのが早いようなので、散歩がてらポストを通り越して局まで行く。

その途中バス停の所を通る。

バス停を見ると母を思い出す。

私の家にいたころ、雨の日以外はいつも家の周辺を散歩した母は、すぐ疲れて腰を下ろしたくなるので、バス停のベンチは格好の休憩所。

ある日も母がそのベンチで休んでいると、偶然、それほど多くはないバスがやって来て止まり、運転手さんが母に「乗りますか?」と聞いたのだそうだ。

「ごめんなさい、休ませてもらってるだけで乗りませんって謝ったんだよ」と面白そうに母が話してくれたことを思い出す。

母が最後の時間を過ごした施設も私の生活圏なので、買い物や市民館に行くときなど、その方角に目が行っただけで、「ああ、もうあそこに母はいない・・・」と思い、ちょっと胸がシクッとする。


こんなはずではなかった。

年も年だし、このところもう調子は良くなくて覚悟もできていた。

早く父の所に行かせてあげたかった。

だいたい、私は母のこと、あまり好きじゃなかった。

自分に似すぎていて、いや、私が母に似ていて、自分の嫌な所をデフォルメして見せ付けてくれるような母にイライラすることが多かった。

母が亡くなっても、私は平気だろうと思っていた・・・。


土曜日、母は墓石の中に父の骨壺と並んで納まった。二つの骨壺に寄り添うように、13歳で亡くなった次兄の、ひと回り小さな骨壺があった。今頃親子三人楽しく語らっているだろうか。

とうとう、親のない子になってしまった。

いくらこちらが保護する立場になろうと、私のことが分からなくなろうと、母の前に行けば私は「あなたの子供、あなたの娘よ」と言うことができたのに、もうこの世界のどこにも、私が「子供」になれる場所はないのだ。

もっとうんと早くそういう立場に立っている人から見れば、「何を甘えたこと」と思われるかもしれない。

けれども、愚かな私は今やっと分かったのだ。

どんな親であれ、親というものは、いてくれるだけでありがたいものなのだと。



父と結婚して間もない頃  「モガ」風の母